軽い「主語」

 日本語はあくまで述語中心の言語であって、英語のように主語・述語を軸に成り立っているわけではない、そもそも欧米文法から借りてきた「主語」という概念自体怪しいもんだ、という説もあるようだ。


 この説は興味深い。仮に「主語」という言葉を使うとしても、この説に従えば、日本語では主語と目的語の重みに違いはないらしい。


公園を走る


 という文は、英語なら(例えば)「I run in the park.」だ。英語的視野で考えれば、「私は」という主語を省略したことになる。


 しかし、英語とは別の視野に立てば、


I run.


 という英語の文は「どこを」について書いていないではないか、どこでもないどこかをふわふわ宙を浮くように走るのか、と言いがかりをつけられないこともない。


 わたしは別にニッポン・バンザイ論者でも文明開化派でもないので、どっちの言語が優れているなんてことには興味がない。ただ、どうやら日本語と英語では物事の把握の仕方が随分と違うらしい、とは思う。