ご当地ソングの心

 今週は思わぬ都はるみ特集となってしまうが、都はるみの「アンコ椿は恋の花」の「アンコ」とは、奄美大島の方言で「若い娘」という意味なんだそうだ(あねっこ、あまっこから来たのだろうか)。



 映像のせいもあるのだろうが、聞くと、奄美の伸びやかな風土を感じさせ、一度、訪ねてみたくなる(もっとも、都はるみ自身は京都出身で、奄美大島とはおそらく関係ないと思う)。


 昔は、この手の「ご当地ソング」なるものが演歌の中の一ジャンルを築いていた。


 中には、クールファイブの「中の島ブルース」のように、一曲の中で、札幌、大阪、長崎の中の島をまとめて唄ってしまう(♪あ〜あ、あ〜あ、ここは長崎、ンなかのし〜まブル〜スよ〜)、という離れ業を演じた歌もあった。


 今もご当地ソングはあるのだろうが、いかんせん、演歌自体が気息奄々だ。万人の知るものは今後、なかなか出てこないだろう。


 また、演歌の低迷も大きいが、ご当地ソングが流行る基礎条件みたいなものも、ほとんどなくなってしまったと思う。


 わたしの見るところ、ご当地ソングの心とは、観光の心である。


 愛だ、恋だ、別れだ、慕情だと唄ってみせても、ご当地ソングの主役はその土地自体である。
 その土地を訪ねてみたい、と感じさせる風情が、ご当地ソングのキモだ。


 わかりやすい例が、島倉千代子の「東京だよおっ母さん」で、あの歌は「ここが二重橋」、「あれが九段坂」、「ここが浅草よ」と、ほとんど唄う鳩バスである。


 日本全国への観光が今ほど簡単ではなかった頃に、「ご当地のこういう場所、こういう状況で、女がひとり立っておりました」などと、土地の風情を唄い、訪ねてみたいという憧れを引き出した。それがご当地ソングだと思う。なかなか戦略的な歌作りを行っていたのである。


 しかし、今は日本全国はもちろん、海外旅行も簡単になってしまった。
 行こうと思えば簡単に行けるものだから、土地への憧れも昔ほど夢見るようなものではないだろう。


 交通事情や政治的な理由でなかなか行けない土地ももちろんあるが、「バグダッドだよおっ母さん」や「ブルキナファソは今日も雨だった」では、さすがにちょっと飛びすぎてしまう。


 見知らぬ土地への憧れを唄う、そそる。それがご当地ソングの心だ。日本が狭くなって、なかなか成立しえなくなってきたのだろうと思う。