歯医者という仕事

 歯医者の椅子に横たわっている間というのは、日常の中でもかなり特殊な時間ではないかと思う。


 床屋の椅子に座っている間がいくらか似ているが、床屋では店の人と話ができるし、眠りこけることだってできる。いざとなれば走って逃げられないこともない。


 歯医者ではそうはいかない。
 ただ横たわって、歯医者のなすがまま(きゅうりがぱぱか)になっている。30分なり1時間なり、口を開けて、ぼーっとしている。かなり間抜けな状態である。


 ドリルやバキュームや針が行き交い、口の中は小規模なスペクタクルになっているはずなのだが、何しろ見えないので、どこか他人事だ。


 仕方なく想念があたりをさまよう。


 昨日は、ぼんやりと歯医者という仕事について考えていた。


 あれはなかなか大変だと思う。
 来る日も来る日も、口の中をいじる。人によって口の中の状態はいろいろだろうが、やるべきことはある程度パターン化しているのではないか。嫌気がさしたり、うんざりしたりしないのだろうか。


 口であるからして――そのうえ、歯医者にかからざるを得ない人だから――臭い人もいるだろう。それをじっと我慢の大五郎。
 患者が昼飯にニンニクを食って、しかも時折ゲップするのに30分付き合う、なんていうのはどんな心持ちなのだろうか。


 舌というのも曲者だ。
 鏡で口の中を見るとわかるが、舌というのはなかなかじっとしていない。


 ドリルがウィンウィン回っているすぐ近くで、患者の舌がウニウニ蠢いている、というのは怖くないのだろうか。いやまあ、慣れなのかもしらんが。


 歯医者の椅子に、間抜けに口を開けて横たわりながら、そんなことを考える。


 毎日やっていれば、治療の佳境で患者の口に道具を落っことす、なんてこともありそうな気がする。歯医者にだって集中力の欠ける日はあるだろうし、慣れがミスを呼ぶことだってあるだろう(わたしなら、しょっちゅうだろう。わたしが歯医者の道を選ばなかったことを、世の人々は感謝すべきだ)。


 あるいは、突然、地震が来たら。
 スプラッター。ウィンウィン、ぶしゅー。びゃーっ。


 口の中でドリルが回っていると、ロクなことを考えない。しかし、何もできないので、ただただ想念が飛び回るにまかせている。