個人的には、僕(私)自身

 気になるというほどではないが、ちょっと“んー、どうなんだろう”と思う言葉遣いに(ま、気になっているということですが)、「個人的には」、「僕(私)自身」というのがある。


 もちろん、使う状況にもよるのであって、会社などの組織を背負って、「個人的には、産地偽装をもみ消すための贈賄の金額をいくらに設定するかという談合はいけないことと考えておりますが〜」などと発言するのはおかしくない。別の意味でおかしいが、「個人的には」の使い方としてはおかしくない。
 この人は、組織としての立場からいったん離れて、宙を漂う個人としての意見を述べているからだ。その前後では、組織としての立場からの、別の意見も述べているのだろう。


 しかし、そういう言い方が習い性になるのか、組織が全然関係ない事柄に、「個人的には」や「僕(私)自身」を使っているケースをよく見かける。ブログやBBSなんかに多い。


僕自身は、プリンが好きです。


 って、アナタ、それ、別に組織なんか背負ってないでしょう、最初から個人の話でしょう、「自身」はいらんでしょう、と思う。


 こういう言い方をどう捉えればいいのか。


 ひとつには、僕や私などの主体を強調する言い方、と言えないこともない。


 しかし、それよりは、相手の出方をうかがったり、おそるおそるの気持ちがあったり、空気を読んだりする気持ちが濃いように思う。


 ここから、日本人は集団志向が強くて絶えず集団からの視線を気にしており〜、などという日本人論も展開できるのかもしれないが、例によって、他の社会のこと、例えば、ダッタン人がプリンを好むことをどう表現するかなんぞ知らないので、よしておく。


 別に「個人的には」、「僕(私)自身」に目くじらを立てているわけではない。


 言葉遣いというのは、いろいろと人の心の持ちようを透かし見せてくれて、面白いと思うのである。