名刺交換

 名刺交換するとき、何かこう、居心地の悪さを感じる。あの居心地の悪さは何に由来するのだろうか。


 名刺交換の前に話が始まるときがある。
 なごやかに談笑しているうちに、“では、そろそろ”という空気が支配的になってくる。


 やおら立ち上がり、相手の席に近寄りながら、ポケットから名刺を取り出し、「あの、遅くなりましたが、わたくし……」、ゴニョゴニョ、とはっきりしない言葉を口にする。上体を45度折り曲げながら、名刺を持った手をつと持ち上げる。
 相手は「あ」などと言いつつ、飛び跳ねるように立ち上がり、やはり名刺入れを取り出す。思っていたポケットに入っていなくて、慌ててあちこち探ったりする。


 実にどうも、たまらん時間である。


 わたしはあまり本当の自分とか、自分らしいといった捉え方を信用しておらず、ギワクのマナザシで眺めているのだが、あの名刺交換の間は、いかにも世を忍ぶ仮の姿という心持ちになる。


 型にはまる、たがをはめられる居心地の悪さ、みたいなものだろうか。


 相手と名刺交換をするという、ただそれだけのことなのに、ああいうものの強制力というのは大したものだ。自我、自由、自己、自律なんていう、「自」方面の言葉を吹き飛ばしてしまう。


 我々は普段、自だの分だのと口笛吹いていても、名刺交換するとき、社会の、あるいは文化の鋳型によって形づくられていることを思い知らされるのかもしれない。礼式、恐るべし。


 大げさでしたか。