野暮

 大相撲の八百長騒動の報道を見ると、ヤボチンスキーだなあと思う。
 八百長を叩く側は、まるで正義こちらにありというふうだが、一面的で生硬で、物の捉え方が痩せている。


 見方が意地悪くて申し訳ないが、あれ、騒いでいるのは大して相撲が好きでない人達ではないか。権威的なものをやっつけて溜飲を下げたいかなんか、そんな動機で。知らんけど。


 おそらく、大相撲はスポーツなのだから八百長はイケマセン、というリクツなのだろうが、ここの時点で、考え方が学級委員長的に硬直している。


 大相撲はスポーツであると同時に芸能で、というか、元々、芸能的な要素の強かったものが、戦後、興業の観点からスポーツ色を強め、成功を収めた、ということなのだと思う。
 根っこには芸能的部分が残っており、だからこそ、朝青龍が毀誉褒貶、さまざまに騒がれるのだろう。


 大相撲の好きな人がシラケるのは、八百長ではなくて、八百長無気力相撲がバレバレだとツマラナイということだと思う。
 やるならうまくやれ、客にわかるようにやるな、「あれ、今のもしかしたら」くらいならまあ、しょうがない、と、そんなところではないか。つまり、相撲の芸の不足が問題なのである。


 法廷闘争に持ち込んだ相撲協会も野暮だと思う。八百長ってあるのかなーないのかなー、あるのかもなー、くらいでぼやかしておけばそれでいいのに。よほど恨みが積み重なっていたのだろうか。


 こういう野暮なことについては、「ケッ、くだらねえ」と、細目の横目で一瞥くれるしかない。


 いっそ、裁判の決着は、原告、被告、それぞれの弁護士さんが相撲を取って決めたらどうか。裁判長さんが行司の衣装を着けて。これは盛り上がるよー。
 こういうことについては、事実なんぞどうでもよい。