清原と桑田

 清原と桑田を見ていると、時間の流れというものを感じる。


 わたしは清原、桑田とほぼ同年代で、特にファンというわけではなかったが、あれだけの選手であるから、折々、目にはしてきた。


 マスコミを通しての2人のイメージは随分と変わったように思う。


 PL学園時代、桑田も好投手として知られていたが、清原はまさに怪物、注目度もずっと高かったように記憶している。
 桑田が注目度の点で清原を上回ったのは、巨人に入団してからではないか。


 入団してから数年、マスコミの描く桑田像は、今では信じられないくらいに悪かった。


 契約時に土地を要求したとかしないとかで、「投げる不動産屋」などと呼ばれた。
 時は1980年代後半。バブル経済に突入する頃で、そういう時代背景もあったのか。


 さらには、顔のほくろの多さや爬虫類的な顔立ち、マウンドでぶつぶつつぶやく姿がことさらにデフォルメされ、「気持ち悪い」というキャラクターが作り上げられた。


 一方の清原は、入団した西武ライオンズのチームカラー同様、妙につるんとした印象だった。
 高卒ルーキーでいきなり本塁打30本以上打ったのだから、紛れもなく怪物ではあったのだが、マスコミを通じた印象には強打者、という以外のものはあまりなかったように思う。


 ライオンズ時代の清原のイメージは、下手すると(って言い方もないが)、爽やかですらあった。


 2人の印象がまるで逆転したのは、いつ頃だろうか。


 桑田はもっぱらプレーヤーとして取り上げられるようになり、終わりの頃には、そのマウンドにいる姿は、ほとんど聖性をまとって見えるようになった。


 清原はどんどんいかつく、焼き肉的に、かつだんじり化していった。マスコミの取り上げ方云々というより、本人が勝手にそうなっていったように思う。


 ピアスがあれほど凶悪に見える人物というのも珍しい。
 本人はお洒落のつもりなのかもしれない。あのファッションセンスは「必要なのはお金じゃなくてセンスです」とか何とか、チャラついた薄っぺらさが鼻で笑っただけで吹き飛んでしまうくらいの、圧倒的な本物感(ただし、一部の地域限定)を備えているように思う。


 清原の引退セレモニーには、このクールでニヒルでジャジー・Bなわたしが、思わずもらい泣きしてしまった。


 清原の好きなのが「とんぼ」でよかった。あれが「順子」だったら、まわりもいささか困った心持ちになったに違いない。