国語改革疑似体験

 戦後育ちの人間にはあまりよくわからないが、戦後まもなくの頃の日本語の書き言葉は、大きく変貌して、なかなか大変な状況だったらしい。


 仮名遣いが旧仮名遣いから現代仮名遣いに変更され、公文書やメディアで使用すべき漢字の制限が行われた。「學→学」のように漢字の新字体も制定された。


 読売新聞は社説で漢字全廃を唱え、志賀直哉に至っては、日本語を廃止し、世界で最も美しい言語であるフランス語を公用語にすべし、と主張したとか。それだけ敗戦の文化的ショックは大きかったということだろうか。


 一方で、国語改革に対する反対意見・反発も強かったらしく、丸谷才一のように、今でも旧仮名遣いで文章を書く人もいる。


 例えば、夏目漱石の「吾輩は猫である」の序を旧仮名遣い、旧字体のものと、現代仮名遣い、新字体のもので比べてみよう。


 旧仮名遣い、旧字体ではこうだ(原文は「青空文庫」より。底本は「新選 名著復刻全集 近代文学館 吾輩ハ猫デアル」財団法人日本近代文学館、1974(昭和49)年12月1日発行第13刷、だそうです)。



 現代仮名遣い、新字体に改めるとこう(文責は稲本)。



 戦後20年経ってから生まれたわたしは、現代仮名遣い、新字体のほうが読みやすい。旧仮名遣い、旧字体のものは古くさく感じるし、読むのに少しつっかえる箇所もある。


 しかし、それはあくまでわたしが現代仮名遣い、新字体で育ってきたからだろう。旧仮名遣い、旧字体に慣れている人は、文字に対する別の感覚を持っているはずである。


 想像だが、現代仮名遣い、新字体が突如として登場したとき、当時の読者には相当な違和感があったんではないか。


 現代仮名遣い、新字体で育っているとその違和感はわからない。しかし、擬似的に体験してみることはできる。


 先の「吾輩は猫である」の現代仮名遣いで、助詞の「は」を「わ」に改め、画数の多い漢字をテキトーに省略してみよう。



 いきなりこんな表記法が出てきたら、「何だこれは」と思うだろう。


 旧仮名遣い、旧字体を当たり前と思ってきた人達が、現代仮名遣い、新字体に出くわしたときの衝撃も、こんなふうだったのでは、と思う。「乱暴だ」と思ったかもしれない。「明日からこういう文章を読みなさい、書きなさい」と言われたら、わたしだって反対したくなる。
 彼らは多くのものを捨てさせられ、美意識に反するものを読まなければならなかったのだろう。


 また、現代仮名遣い、新字体に変えるということは、他人が、著者の意図したものとは異なるものに変えるということでもある。
 漱石先生だって、「吾輩わ猫である」とされては、眉根くらいは上げるだろう。あるいは、メランコリイに陥るか。


 まあ、何らかの統一が必要で、美意識がからむものというのは難しい。


 サイトウさんにとっては「齋藤」か「斎藤」か「齊藤」か「斉藤」かというのは美意識の大問題かもしれないが、サイトウさん以外にはよくわからない問題でもある。