昨日、ニルヴァーナのパロディをやったアル・ヤンコヴィックについて書いたついでに(この3日間、「ついで」の話題がキレの悪いうんこのように続いているが)、ニルヴァーナのアルバム「Nevermind」をAmazonのページで見たら、商品説明のところにこんなことが書いてあった。
本作は、アメリカン・オルタナティヴ、グランジを一気にメジャー・シーンへと引っ張りあげた。と同時に、先行きの見えない時代の閉鎖感をカンペキに表現し尽くした。
「Nevermind」は1991年の作品だが、あの頃って、先行きの見えない閉鎖された時代だったのだろうか。
よく覚えていないし、そもそもアメリカに住んでいたわけでもないから感じようがないのだが。
「時代の閉塞した状況」という類の言い回しに出くわすことがある。
出くわすたびに、“そうかー、時代は閉塞しておったのかー、知らなんだー”と己の不明を思い知らされる。
時代が閉塞しているわけではなくて、書いた人間が個人的に閉塞しておるだけではないか、と思わないこともないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもないこともないわけでもない(三十四重否定)、のだが、ヨクワカリマセン。
しかし、改めて考えてみると、人類の歴史の中で閉塞していなかった期間って、どのくらいあるのだろうか。
いや、むしろ、“閉塞”なんていう感じ方が特殊なのかもしれない。何かが変わることを期待して、変わらないと“閉塞している”と閉所恐怖症的な不安を感じてしまう現代が特殊なのではないか。
ムツカしい。普段使わない脳味噌を使おうとすると、頭に乳酸がたまる。How low?
例えば、
時代の閉塞した状況を見事に表現した近松門左衛門
なんていう言い回しがもしあったら、違和感がある。
当時の人は、自分が置かれている状況を辛いと感じることはあれ、“時代が閉塞している”などとは考えもしなかったろう(と、少なくとも現代に住むわたしは思っている)からだ。
あるいは、古代エジプトでピラミッドの石を運んでいたオッサンは、汗を流しながら、“時代が閉塞しておるなー”と感じたであろうか。
もしかしたら、現代の一部の人は、「閉塞した状況」などと大仰に書いてみることに、いささか変態的なヨロコビを感じるんではないか。いや、知らんけど。
まあ、とりあえず、乳幼児の死亡率が低いのは、現代の日本のいいところだが。それは、自転車操業に支えられているものではある。
- アーティスト: ニルヴァーナ,カート・コバーン
- 出版社/メーカー: USMジャパン
- 発売日: 2006/05/17
- メディア: CD
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