ビートルズの「オブラディ、オブラダ」という有名な曲がある。
楽しい曲調で、ステップワゴンのCMでユッスー・ンドゥールもカバーしていたので(♪ブロロ〜ン)、覚えている人も多いと思う。
あの曲、2004年にインターネット上で行われた「史上最悪の曲」投票(英語で行われた)で第1位に輝いたのだそうだ。
へええ、そんなにひどい曲かねえ、と思うのだが、歌詞のせいだろうか。
「オブラディ、オブラダ」のサビは、“Obl-a-di ob-la-da, life goes on bra!”で、「オブラディ、オブラダ、人生はブラのように続く!」。
ブラはポール・マッカートニー曰くブラジャーのことで、英語ネイティブの人には下品に聞こえるのかもしれない。
あるいは、サビだけではなく、あちこちの歌詞のニュアンスにひっかかるのかもしれないが、英語のニュアンスを解さないわたしにはよくわからない。
わたしは高校時代からほとんど洋楽一辺倒で、日本の歌も偏見なしで聞けるようになったのは二十代半ば頃である。時期でいうと、1990年代半ば頃。
今でも携帯音楽プレーヤーで聞くのは、洋楽が多い。
しかし、こういう「オブラディ、オブラダ」のような話を知ると、いったい、何を聞いてきたのだろうか、とも思う。
よほど好きな歌なら歌詞もそれなりに理解しているが、そうでない曲は、せいぜい、断片的に言葉を聞き取る程度だ。
まあ、そうやって断片的に聞き取った言葉をつなぎ合わせて、自分の頭の中で勝手に曲についての想像をふくらます、というのも、ひとつの楽しみ方ではあるけれども。
歌が、歌詞と曲で成り立つとしたら、歌詞をろくろく聞き取れないのは、歌の半分しか味わっていないのではないか、とも思う。
いや、いい歌では、歌詞と曲が、3+3=6ではなく、3×3=9のような相乗効果を生むとしたら、3分の1しかわかっていないわけで、もったいなくもある(まあ、3×−3=−9という歌だってあるだろうけど)。
言葉のわからない歌を聴くというのは、ドライな捉え方をすれば、サウンドと、ヴォーカルの音の変化を楽しんでいるだけともいえる(もちろん、そこからは歌詞に基づく感情の変化も感じ取れるわけだが)
どうせ歌詞を聴き取れないんなら、ハナモゲラで歌っていてもいいのだろうか。そんな気もするし、それは違う気もするし。
ナニ、わたしだけではあるまい(ああ、謙虚さが……)。
以前、クルマのCMがBGMにクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」の“Mama, just killed a man.(ママ、僕は人を殺してしまったよ)”という一節を使っていて、ぶっ飛んだことがある。
原の中を駆け抜けるクルマの映像を見ながら、「このクルマ、ひき逃げしてきたのだろうか?」と思ったものだ。
英語をヒヤリングできない、あるいは頑張って聞き取ってもニュアンスを解さないワシらは(ごめん。一緒くたにしてしまいました)、アル・ヤンコヴィックを本当の意味では理解できないのではないかと思う。
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