歌のテーマ

 橋本治によれば、歌というのは人の中の感情を刺激して、共感を呼び起こすためのものなんだそうだ。


 言われてみればその通り、当然の助動詞なのだが、普段、馬鹿と化して歌を聴いているときは、なかなかそんなことに気づかない。


 でまあ、ふと不思議に思ったのだが(そんなことばかり書いているが)、この頃の歌は、テーマが随分と偏っていないか。この頃、といっても、数十年単位の話だが。


 昔の浄瑠璃――歌舞伎の後ろや、文楽で「ウォヨ〜エエ〜」とやっているやつですね――を聞いたり、本になったものを読んだりすると、親子の情を扱ったものや、忠義と情の板挟みを描いたものが多い。忠臣蔵がわかりやすい例かもしれない。
 それだけ共感できるテーマだったのだろう。


 親の子に対する情は「子ゆえの闇」なんていう決まり文句になってよく出てくるし、忠義もまた随分と人気あるテーマで、凄いのになると自分の子供の首を主筋の子供の首の代わりに差し出して、ヨヨと泣いたりする。


 しかるに、こういうテーマは、最近の歌ではとんと扱わないように思う。子どもが可愛い、という歌は、少しはあるかな。


 今の歌で扱うのは、もっぱら、色恋と、頑張りましょう、夢とチボーを持ちましょう、あなたを応援している人がいますよ、という小中学校のホームルーム的な話、それから許せねえ、嫌だ、キライだ、という話に偏っているように思う。


 親子の情がなくなったわけでもなかろうし、忠義のほうは、まあ、会社に対する忠誠心なんていうのはだいぶ薄れてきたとは言われるけれども、それでもまだまだ、感情として理解できるほどには残っている。


 それらは、なぜ歌のテーマとして消えたのだろうか。辛気くさい、うざったい、飽きた、ということなのか。


 たまには、ブンスカブンスカ、ヒップホップで子を思う親心を語るとか、パンク〜オルタネイティブ系のノイジーなギター・サウンドに乗せて忠義の心を歌いあげるとか、義理と情との板挟みを極上のポップセンスでお送りするとか、そういうのがあってもいいように思うのだが。


 え、売れない? ア、ソウ