そう来たか

 わたしはあまり週刊誌を読まないが、電車の中吊り広告や新聞広告で見出しを見るのは好きで、楽しんでいる。見出しだけでほとんど用は済むんじゃないかとすら思う。
 人々のさまざまな興味のありようというものをコンパクトに知ることができ、好都合だ。


 今週は、オリンピックが終わった直後ということで、選手がらみの記事が多いようである。
 噂話にウラ話、美談珍談虚談奇談、好意と悪意が錯綜し、尾ヒレ、身びいき、引きずり下ろしが乱れ飛んで賑やかしい。


 中でも、ヤラレタ、と思ったのが、女性自身の見出しだ。


「りさ子(40)耐える…夫婦すれ違い15年目の夏」とか、「雅子さま(44)殿下(48)の『6年越し悲願』が…初めての『親子登山』へ秘めていた“決意”」などといった記事と並んで、こんなのがあった。


上野由岐子(26)両親語った――「引退後生活、婿取り」


 週刊誌の記事というのは、我々の集合的無意識の表象なんだそうである。
 我々の集合的無意識は、北京413球の熱投の後で、婿取りのことが気になってしょうがないらしい。