絵と視線

 ガキの時分から不思議に思っていて、いまだに説明のつかないことというのがあって、絵の中の人物の視線というのもそのひとつだ。


 視線をこちらに向けている人物画は、どの角度から見ても、こちらを見ているように見える。あれが不思議でしょうがない。
 しかし、どう考えたらいいのか、というか、不思議を解明する糸口すらつかめずにいる。


 例えば、モナリザの絵にお出ましいただきますね。



 この絵を、正面から、斜めから、上から、下からご覧いただきたい。モナリザは、どの角度から見てもあなたを見ているはずだ。
 歌で言うなら、“Can't Take My Eyes Off You”である。関係ないか。



「私の視線からは逃れられません」


 上から見た図で説明すると、こういうことだ。



 当たり前だが、3次元の彫刻ではそんなことはない。ジュリアス・シーザーの彫刻にお出ましいただく。


*1


「そちなぞシカトウじゃ」


 まあ、このシーザー像には眼球が入っていないのだが、我々は決まった方向の視線を感じることができる。その視線から外れた位置にいる人は、シーザーがそっぽを向いているように感じる。


 大仏様でもそう。



えいっ、大仏ビーム!!


 3次元のものでは視線の方角を特定できるのに、なぜ2次元のものでは視線が上下左右180度に渡って自由になるのか。というか、なぜ我々はそんなふうに感じるのだろうか。


 そもそも、絵における視線、目って、人間にとって何なのか。物理的には紡錘型の中に丸を書いただけのことなのだが。目以外のもので、そういう効果を持つものを思いつかない。


 そんなことをぽやぽや考えていると、ガシッと安定していると思っていた世界が、ゆらゆら足元から揺れてくるようで、軽くヨッパラったような心地よさも覚えるのである。



「実は眠いのです」


*1:ウィーン・美術史美術館蔵。photo:Andrew Bossi.