身体能力という言葉がよく使われるようになったのはいつ頃だろうか。
何となくだが、2002年のサッカーの日韓ワールドカップの頃からのように思う。
以前はもっぱら運動能力という言葉が使われていた。身体能力の指す内容は、力、スピード、俊敏性、柔軟性と、実際には運動能力とほとんど同じだと思う。
だったら別に運動能力でイイデハナイカ、と思うのだが、身体能力と運動能力では微妙なニュアンスというか、行間で意味するところが少し違うようである。
身体能力という言葉は、例えば、“身体能力の高いアフリカ人選手”というような使い方をする。
その裏には、“日本人選手は身体能力が低い”という言外の言い訳や慰め、あるいは逆手にとっての“しかし、ワシらには○○があるのだ”(○○のところには、技術とか、戦術とか、頭脳プレーとか、努力とか、大和魂とかが入る。本当かどうかは知らない)という自分ワッショイが隠れている。負けてたまるかニッポン男児、である。
身体能力という言葉は集団について、運動能力という言葉は個人について使う印象がある。
まあ、傾向の話であって、“身体能力の高い誰それ”、“運動能力の高い○○人選手”という言い方もあるのだが。
集団について使うときの身体能力という言葉は、安直な決めつけや、こうあれかしという願望に流れることがあり――というか、決めつけや願望のゆえに身体能力という言葉を使うことがあり、疑惑のマナザシで見てかかったほうがよいと思っている。