フランケンシュタインの怪物という有名なモンスターがいる。
 巨体に、血色の悪いつぎはぎだらけの顔を描かれることが多い。


 時折、誤解している人がいるが、あれはあくまで「フランケンシュタインの怪物」であって、フランケンシュタインは怪物を作った博士の名前である。


 言ってみれば、「パブロフの犬」をパブロフと呼んでしまうようなものだ。



パブロフさん。たぶん、犬ではない。


 なぜそのようなことになるかというと、「フランケンシュタイン」という名前が長すぎて、「タイン」あたりで息切れしてしまうのだろう。「の怪物」までたどり着く我慢と辛抱に欠ける、ともいえる。


 現象として捉えるなら、「フランケンシュタインの怪物」が「怪物のフランケンシュタイン」に変換されてしまうわけである。


フランケンシュタインの怪物


 ↓


怪物のフランケンシュタイン


 両者では、真ん中にある「の」の意味が違っている。


 上の「の」は所属を示す(「本校の生徒」とか)か、あるいは主体を示す(「フランケンシュタインの(作った)怪物」)んだろう。
 下は同格を示す「の」である。「馬鹿(であるところ)の稲本」のようなものだ。


 もちろん、誤った変換であって、そのことは、


パブロフの犬


 ↓


犬のパブロフ


 と変換してみればわかる。


「犬のパブロフ」では、パブロフさんが鎖につながれて(しかも、なぜかそのことをヨロコんで)いる姿を想像してしまい、よろしくない。


 では、「イワンの馬鹿」はどうであろうか。


イワンの馬鹿


 ↓


馬鹿のイワン


 イヤン。


 ……思わず衝動で書いてしまったが、これはイケそうである。同格をひっくり返しても、同格ということだろうか。


 しかし、そうすると、再変換して、


怪物のフランケンシュタイン


 ↓


フランケンシュタインの怪物


犬のパブロフ


 ↓


パブロフの犬


 も、同格の同格は同格だ、フランケンシュタインは怪物で、パブロフはやっぱり犬だったのだ、となるはずなのだが、わたしの心がなぜか“それは違う!”と叫ぶのである。あれ、どこで間違ったのだろう。


 何を言いたいのかよくわからないかもしれない。そうだろう。わたしにもわからない。うんもう、フランケンシュタインのばか。



「実験を繰り返すうち、わしもベルの音を聞くと、よだれを垂らすようになってしもうた」