鼻濁音的態度

 鼻濁音というのがあって、ガギグゲゴを、鼻に抜くようにして発音する。


 例えば、「蛾がガラスに激突」という文を発音すると、


→ 全て濁音


(クリックすると、音を聞けます)


→ 2番目の「が」だけ鼻濁音


 と、こういうふうに違う。


 地方にもよるのだが、東日本は鼻濁音を使い、西日本は鼻濁音をあまり使わないと言われる。
 また、若い世代――といっても、わたしくらいより下はあまり鼻濁音を使わなくなってきているらしい。もちろん、個人差も大きいのだが。


 鼻濁音を使う/使わないというのは、気になる人には大変に気になるらしい。
 NHKのアナウンサーが鼻濁音を使わなかったといって、「クビにしろ!」とNHKに抗議の電話を掛けてきた人がいるという。


 もっとも、そこまでやる人は何か他の不満をすり替えているのかもしれない。


 ここでは、仮に濁音を[ガ][ギ][グ][ゲ][ゴ]、鼻濁音を[が][ぎ][ぐ][げ][ご]と表記しよう。


 一般には、語頭は濁音にし、鼻濁音はその他の音で使う。


 なぜかというと、語頭まで鼻濁音にすると、


→ [が][が][が]ラスに[げ]きとつ


 と、何やらだらしなくなるからだ。歯磨きしながら喋ると、こんな感じになる。


 しかし、わたしはこのだらしなさ、何となく好きである。


 日本語ではなぜか「ガギグゲゴ」が、アッパー系というか、一生懸命力いっぱい活き活き前向きおはよう的態度の言葉によく使われる。


→ [ゲ]んきいっぱい、[ガ]ッツで[ゴ]うかいに[ガ]んばります! [グ]ーだねえ


 頑張ることはいいことだと思うけれども、わたしはそれ一辺倒の価値観というのは嫌いだ。
 人間には、しょうもない部分や、いかんともしがたい部分がある。そういうものを簡単に斬り捨てるのはツマラナイし、薄っぺらいとすら思う。


 なので、鼻濁音的態度も、結構、捨てがたいと思うのだ。


→ [げ]んきいっぱい、[が]ッツで[ご]うかいに[が]んばります! [ぐ]ーだねえ


 人々がこういう態度も認めれば、覚醒剤なんぞ流行らないと思うのだが。

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「今日の嘘八百」


嘘六百九十三 クレタ人は嘘つきだ。おれはクレタ人だからよく知っている。