よくは知らぬのだが、平安の王朝文化華やかなる頃、やんごとなき人々はやたらと泣いていたようである。
親しい人が亡くなったので泣く。これはわかる。遠くへ行くので泣く。これもまあ、いいだろう。
しかし、和歌なんぞを見ていて、あなたのその仕打ちがうらめしいことよ、などと袖を濡らすわ、露が落つるわ、玉を数えるわ、となると、この人達はちょっとどうかしているのではないか、と思う。
それとも、あまり泣かない、あるいは泣くことを抑えている現代の我々がちょっとどうかしているのだろうか。
ご承知の通り、泣くというのは大変に気持ちいい。
映画やなんかを見て、ぼろぼろ泣くと、見終わった後で心を洗ったようなスッとした心持ちになる。
年をとると涙もろくなる、というのも本当で、ありきたりでちょっとアレなんだが、わたしは高校野球を見ていると、泣けてしょうがない。
以前は9回くらいで泣いていたが、今では8回、下手すると7回の裏くらいで来てしまう。
8回の攻守交代あたりでボワッと涙があふれ出し、9回まで来るとほとんど情動失禁状態で、濡れそぼったハンカチを噛みしめていたりする。
平安時代のやんごとなき人々が見たら、「この者はちょっとどうかしているのではないか」と思うんではないか。
スポーツで泣きたいなら、わたしの一番のオススメは正月の、花園ラグビー場で行われる高校ラグビーである。
大学、社会人のラグビーとなると、選手達がいかにも肉体的に鍛え上げたアスリートというふうになる。
しかし、高校程度の段階だと、フォワードの選手(前のほうでスクラムを組む人々)は、たいがい、ただのデブちゃんである。
花園の高校ラグビーは、そのデブちゃん達が、高校生活の最後、卒業まであと2、3ヶ月というときに行われる。
ラグビー部での3年間には、辛いこと、苦しいこと、嫌な思い出、楽しい思い出、そして仲間とのいろんなことがあっただろう。
それが、アナタ、0-50くらいで負けている試合の終盤になってご覧なさい。スクラム組みながら、デブちゃん達がわーわー泣いて、凄いことになるんスから。
わたしは、あんだけ大勢のデブちゃん達が盛大に泣く場というのを、他に知らない。
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「今日の嘘八百」
嘘六百八十三 牛の涙はコンソメ味。