南光、米朝、嘆きのボイン

 先日、桂南光・こごろう親子会を見にいった。


 桂南光・桂こごろうは大阪の落語家。もちろん、親子会といっても、本当の親子ではなく、師弟である。


 桂南光は、まだ桂べかこと言った時分、中島らものエッセイによく出てきたから、名前は知っていた。しかし、落語を聞くのは初めてだった。
 前日まで仕事で大阪だったから、東京に帰ってきて大阪の落語を聞くというのも妙なもんである。


 内容は大満足であった。南光のパンチの効いた噺に、爆笑、爆笑、また爆笑。近頃行った落語の会の中では、バツグンによかった。


 南光さん、もっとちょくちょく東京に来てくれないだろうか。


 南光、こごろうももちろん、素晴らしかったが、最初に出てきた桂ちょうばという、おそらく二十代の落語家が、度胸もあり、芸も客席の空気をつかむのもうまく、感心した。将来、大物になるんじゃなかろうか。
 先物買いの好きな人は、今から唾をつけといたらどうだろう。


 こごろうは南光の弟子で、南光は桂枝雀の弟子。枝雀は桂米朝の弟子である。ちょうばは桂ざこばの弟子で、ざこばは米朝の弟子。つまり、米朝一門ですね。


 今、落語家の師弟関係の表を見ながらこれを書いているのだが、米朝一門は実に多彩だ。


 直弟子に、(月亭)可朝、枝雀、ざこば、吉朝小米朝。孫弟子に(月亭)八方、南光、雀三郎。こごろうは、ひ孫弟子に当たる。


 個性は見事にバラバラで、これが同じ一門かと思うが、皆、基本がきっちりしている印象がある。
 一方で、「落語というものに一生懸命取り組んでおります」という、東京の落語家にしばしば感じるような窮屈さを感じさせない。


 勝手な想像だが、米朝師匠は、基礎は厳しく教えるが、弟子がある程度まで行ったら、自分の好きにさせるのではないか。


 今、「米朝よもやま噺」という本を読んでいる。


米朝よもやま噺

米朝よもやま噺


 米朝師匠の話の聞き書きを2ページずつにまとめたもので、ものやわらかな口調が、読んでいて実に楽しい。


 中で、米朝師匠がこんなことを話している。


 最初に覚えさすネタは皆一緒で、「東の旅・発端」です。見台を小拍子と張り扇でガチャガチャ叩きながら喋る噺やさかい、大きな声を出す訓練にもなるんです。
 小米朝(稲本註:米朝の長男)は覚えが悪いと言うか、取りが悪くてね。もちろんそれまで、私の目の前で聴いた通りに喋るなんてやったことありませんからな。彼も焦ってましたよ。優秀なのは千朝と吉朝でした。「よう覚えたな。よっしゃ、今日はここまでにしとこ。次、小米朝」と代わった途端に、「お前は覚えが悪い」と怒鳴ってしまうんや。横で米二や勢朝、米平らが聴いてて、バツが悪かったやろな。
 まぁ、誰にでも最初の三月の間は厳しく言いました。そういう経験を踏めば、我慢強くなるし、なにくそという気も起きてくるもんや。少々アクシデントがあってもへこたれんようになるしね。


 米朝師匠のところでは、入門直後の弟子は、基本的に三年間、内弟子(住み込みで働く弟子)にするそうだ。
 落語の世界では、内弟子の間は酒禁止というところが多いが――。


 稽古はとことん厳しくしましたが、それが終わると、「ちょっと一升瓶出せ」ちゅうて酒盛りを始めたもんです。ついさっきまで絞りに絞った小米朝や勢朝、米平らにコップ酒飲ましてね。歌舞伎役者の思い出話や噺家の逸話を喋っているうちに、顔はほころぶわ、嬉しなってくるわで、芸談を肴によう飲み明かしたもんです。


 米朝は、昭和二十年代の滅びかかった上方落語界に飛び込み、戦前の落語界、芸界の古老を訪ね、文献を漁って、上方落語を復興した。酒盛りは弟子達にとって、よほど勉強になったんではないか。


 そういう酒の場で、米朝師匠がざっくばらんに「高座で自分が窮屈にやって疲れるのは勝手やけど、客を疲れさせてどないすんねん」などと弟子に語るのかもしれない。いや、知らんけど。


 弟子達が伸びるのには、米朝師匠の懐の深さもあるのだろう。
 何たって、月亭可朝が筆頭弟子、というのが米朝師匠の凄いところである。


 可朝を知らないアナタに、1969年発売、衝撃のエレジー「嘆きのボイン」(注意:絶対に会社で音を出してはイケマセン)。



 この、そこはかとない人間というものの哀しみ、あなたに伝わるだろうか。


 可朝は、ある落語家に入門してあっという間に破門されたのを、米朝師匠が引き取った。
 米朝師匠によれば、「あいつを世間に泳がしておくと危ない。噺家の世界に置いといたほうがええ」ということだったらしい。

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「今日の嘘八百」


嘘六百七十四 落語を翻訳して、一番はまるのがイタリア語、絶対にはまらないのがドイツ語だそうである。ただし、講談はドイツ語がダントツ。艶笑噺はフランス語でやると、日本語以上にいいという。