ああ、勘違い

 人によっていろいろ勘違いしていたことというのがあるようで、わたしは高校生の頃、夏目漱石の「三四郎」を柔道の姿三四郎を書いた小説と勘違いしていた。


「三四郎」は、熊本から上京する三四郎の、汽車の車中のシーンから始まる。
“これから東京で講道館に入り、柔道で大活躍するのだなあ”などとワクワクしながら読み始めたのだが、東京へ着いてからの三四郎はどこかを訪れたり、訪れられたり、人とあれこれ会話を交わすばかりで、いつまでたっても柔道を始めない。


 小説の半分頃にさしかかっても、柔道の柔の字すら出てこないのだ。“嘉納治五郎先生はいつ登場するのであろうか”などと、いささか困惑した。


 どうやらこれは姿三四郎とは無関係の小説らしい、と気づいたのは巻も三分の二あたりまで来てからであった。何か、取り返しのつかないことをしてしまった気になったものだ。


 あのときの悔しさは今でも忘れられない。ってほどでもない。


 友達の勘違いバナシを集めてみた。


 Kは、中学生のとき、ギターを始めた。
 初めて手にしたギターが左利き用のギターだったか、それとも右利き用のギターを逆に持ったのだったか、ともあれ、逆さまに構えた。


 構えたとき、普通、ギターは低音弦が上(目に近いほう)、高音弦が下(地面に近いほう)となる。
 ところが、Kは逆に構えているものだから、低音弦が下、高音弦が上となってしまった。


 ギターの初心者は、しばしばコードの押さえ方を本で見て、学んでいく。こんなような図だ。



 Kも、当時好きだった甲斐バンドの曲のコード譜を見て、その通りに押さえてみた。しかし、ギターを逆さまに持っているから、まともな和音が出るわけがない。


 ピックを振り下ろした。


「♪グシャーン」


 複雑怪奇な和音が部屋に鳴り響いた。


 しかし、初心者、しかも中学生というのはオソロしい。Kはこう思った。


“こんな変な和音であんなきれいな曲を作るなんて、やっぱ、甲斐よしひろって凄えんだな”


 ……ここまで書いたら、時間が来てしまった。続きはまた今度書きます。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘六百七十 ベートーベンの第五「運命」の初演のとき、出だしの「♪ジャジャジャジャーン」に聴衆は大爆笑したという。