末期の一杯

 特に差し迫った心配があるわけではないけれども、先日書いた志村 喬のように、死に際に病院のベッドにくくりつけられ、治療という名の医学的拷問を加えられるのはどんな心持ちだろうか、と考えることがある。


 何かの加減でたまたま長寿となってしまったら、そういう目にあう確率は高くなるだろう。その場合、長寿の「寿」の字は合ってるのか、とも思う。


 いや、医学的拷問と呼ぶほどの苦痛がなくても、病院のベッドで管やなんかをつないで暮らすのは、あまり楽しいものではないだろう。


 わたしはよほど体に合うのか酒が好きで、飲むとシヤワセな気分になる。酒が好きというより、正確にはヨッパラっているときの心持ちが好きだ。


 酒さえありゃあ、シロクマが滅びたってかまやしないと思う。関係ないか。


 ま、しかし、肝臓がヤラレて、一生もう飲めません、となるのは怖いので、最近は飲まない日もなるたけ設けるようにしている。
 死んでもいいから飲んでやる、というほどの覚悟はないから、意気地がないといえば、意気地がない。


 病院という場所は、原則として酒は御法度だろう。


 八十、九十となって病院暮らしとなったとき、何が心配かというと、酒を飲ませてもらえないだろうことだ。意地汚い心配で申し訳ない。


 アルコール中毒の患者が病院を抜け出して酒を飲む話を、何度か読んだことがある。世の大半の人は「だらしない」と思うのかもしれないが、わたしは身につまされる。
 病院暮らしのジジイになったら、わたしもそういうことをやりかねない。


 しかし、管やなんかにつながれて暮らすようになったら、そうも行くまい。


 点滴に酒を入れたらどうなるのかしらん、と考えたことがある。


 今日はウイスキー、明日は日本酒、暑気払いに甘酒、正月だから特別にお屠蘇でお祝い、なんてのもなかなかよかろうと思う。


 ま、しかし、実際には点滴に酒をそのまま入れると、雑菌だの、害毒の物質だのが混じって、具合が悪かろう。


 親しい医者に訊いたことがある。


「あのさ、点滴に純粋なアルコールを混ぜたら、ヨッパラえるのかね」
「そうねえ、酔っぱらえるでしょうね。濃度は相当、低くしなきゃいかんだろうけど」
「しめた! じゃ、病院で寝たきりになってもヨッパラえるわけだ」
「たぶんね。医者は薬事法違反で捕まりますけどね」


 だそうである。どこかに薬事法違反覚悟で、点滴にアルコールを振る舞ってくれる、名医はいないものかしら。

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「今日の嘘八百」


嘘六百六十六 オーメンのダミアンが誕生したが、幸か不幸かイスラム教国だったので、平凡な人生を送ったという。