医療と一般人の感覚

 今日は、おそらくバッチイ話が出ると思うので、その手の話の苦手な方はご用心。
 また、医療、医学については素人なので、間違いがあったら、ご指摘いただきたい。


 的確な言葉を思いつかないのだが、医療における重点目標というか、“これを重視する”というポイントと、治療を受ける側の“これを何とかしてほしい”というポイントは、結構ズレているのではないか、と思う。


 例えば、Wikipediaノロウイルスの項で「症状」を見ると、こう書いてあった。


嘔吐・下痢・発熱を主たる症状とする。


症状の始まりは突発的に起こることが多く、夜に床につくと突然腹の底からこみ上げてくるような感触と吐き気を催し、我慢出来ずに吐いてしまうことが多い。それも一度で終わらず何度も激しい吐き気が起こり、吐くためにトイレのそばを離れられないほどである。無理に横になろうとしても気持ち悪くて横になれず、吐き気が治まった後は急激且つ激しい悪寒が続き、さらに発熱を伴うこともある。これらの症状は通常、1、2日で治癒し、後遺症が残ることもない。


→ ノロウイルス - Wikipedia


 文章の書き方からして、おそらく、最初から3分の2のところまでは医学の専門家ではなく、一般人が書いたのではないかと思う。もし専門家が書いたのだとしても、自分の体験した苦しさを記したのだろう。表現が生々しく、主観的である。


 わたしも何年か前にノロウイルスと思われる症状に見舞われたことがある。
 上の引用文の通りで、非常に苦しかった記憶がある。あまりの吐き気のひどさに、「何とかしてくれ!」と思ったが、もちろん、何ともしようがないのであった。


 もっとひどかったのが、わたしの父親だ。


 母に聞いた話だが、あるとき、父がノロウイルスにやられて、トイレにこもりっきりになった。


 ふらふらになってようよう出てきて、母がトイレの中を見ると、そこらじゅうゲロだらけだったそうだ。
 ゲロが壁から、なんと天井にまでかかっていたという。


 おそらく、便器に座っているとき、突然、吐き気に襲われたのだろう。
「おえおえおえ」。壁に、シャーッ。天井に、ピューッ。
 ゲロ・スプラッター。ゲロ鉄砲。もしかしたら軍事目的に利用できるかもしれない。


 さて、そんなノロウイルスの症状だが、厚生労働省の「ノロウイルスに関するQ&A」にはこう書いてある。


健康な方は軽症で回復しますが、子どもやお年寄りなどでは重症化したり、吐ぶつを誤って気道に詰まらせて死亡することがあります。


→ ノロウイルスに関するQ&A


 軽症、ですかねえ。


 と思うのが、一般人の感覚だと思う。


 おそらく、厚生労働省、あるいは医学の世界では、死に至る可能性が高いか、それに近いものを重症、重篤と呼び、一時的には非常に苦しくても死に至るようなものでないと軽症と呼ぶのだと思う。


 逆の例もある。


 20代初めの頃に健康診断を受けて、サルコイドーシスという難病と診断されたことがある。
 これが難病のくせに、自覚症状がまるでナシ。これといった治療法もなく、1週間ほど検査入院させられたが、いたって元気なもので、病院では暇でしょうがなかった。


 たいていは数年で治ってしまうらしく、わたしも何年か後の健康診断でおとがめなしのお言葉をいただいた。


 まあ、心臓にまわると死に至る可能性もあり、治療法が確立されていないので、難病に指定されているのであろうが、かかっている側(わたし)からすると、不思議な病気であった。


 医学のほうでは生きるか死ぬかを第一の基準に置く。病気の根元を取り除くか、それが無理なら抑えることを目指す。一方、患者のほうは、もちろん、死にたくはないが、直近の問題として「この苦しさを何とかしてくれ!」と思う。


 医師が患者からしばしば「あの先生は冷たい」、「全然わかってくれない」と言われるのは、ひとつには、そうした医療と一般人の感覚のギャップに原因があるように思う。

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「今日の嘘八百」


嘘六百六十四 シロクマやペンギンの心配をしている暇があったら、マッチ売りの少女を何とかしてやれ、と思う。