一人称

 日本語でよく使われる一人称は、「私」「僕」「俺」がベスト3であろうと思う。


 日本語にはその他にもいろいろ一人称があって、「わし」「吾輩」「手前」「拙者」「小生」「拙」「拙者」「おら」「おい」「うち」「あたい」「おいら」「余」「朕」「あちき」、面倒くさくなってきたのでそろそろやめるが、呆れるほどたくさんある。


 もっとも、「朕」なんていうのは天皇か皇帝、国王の自称に限られた言葉であって、


朕は、会社の会議で部長の自慢話が長いので、うんざりしちゃった。


 なんていうのは、特殊な表現効果を狙わない限り、やらないほうがよい。


 英語の一人称がほとんど“I”(my, me, mine)に絞られているのに比べて、日本語の一人称の多さは興味深い。理由はいろいろ仮説を立てられるけれども、まあ、雑な文化論に陥るのが関の山なので、よしておく。


「私」「僕」「俺」の日本三大一人称に限ったとしても、漢字、ひらがな、カタカナ、それぞれの表記によって、読む人の印象が違ってくる。


「俺」を例にすると、


俺は煙草を吸った。


おれは煙草を吸った。


オレは煙草を吸った。


 それぞれ、印象が異なる。


 ひらがなの「おれ」が一番おとなしい。カタカナの「オレ」には俺が特別な存在であることを強調する感覚がある。ちょっとハードボイルド、ただし本人基準で、である。


 ひらがな表記、カタカナ表記というのは、一般にそういうところがあって、ひらがな表記はおとなしく、言葉を文章の中にそっと沈める。カタカナ表記は目立たせる。「わざわざカタカナにしたのには意味があるんですヨ」と感じさせる。


 例えば、「僕」の場合だと、ひらがな表記の「ぼく」は控えめ。一人称を入れたいけけど、あまり目立たせたくない場合にいい。
 カタカナ表記の「ボク」は目立って、ちょっとカマトトっぽい感じになる。「ボク、そういうのイヤなの」なんてふうな、こう、軽くぶっ殺してやりたいような感覚が生まれる。


 そういう、漢字、ひらがな、カタカナの使い分けが、文章を書く面白さの一つだ。文章を書く面白さのヒトツだ。文章を書くオモシロさのひとつだ。だんだんワケがわかんナくなってきタ。


 ここのページでは自分のことを主に「わたし」と記している。「私」だと改まって見えて“いやあ、あたしなんざ、そんな大したもんじゃござんせん”と感じるし、「ワタシ」だと、ことさらに言い立てる感じがして、うるさい。


 消去法で「わたし」にしているのだが(そういう生き方なのよね)、「おれ」に変えよっかなー、という気持ちも常にある。考えるときは「おれ」を使っているからだ。


 まあ、読んでいる方からすると「どうでも勝手にせい」というところだろうが、自意識過剰なの、ボク。

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「今日の嘘八百」


嘘六百六十二 この嘘を思いつくまで五時間かかりました。