日本詩歌の伝統〜七と五の韻律論

 川本皓嗣著「日本詩歌の伝統」の紹介も、今日の「七と五の韻律論」で終わり。


日本詩歌の伝統―七と五の詩学

日本詩歌の伝統―七と五の詩学


 もともと、わたしがこの「日本詩歌の伝統」を読み始めたのは、七五調をなぜ気持ちよく感じるのか、という興味を持ったからだった。


 しかし、「七と五の韻律論」でびしっと答を得られたかというと、うーん、うーん、うーん……。


 ままよ、まずは川本先生の説をざっと紹介しよう。


 川本先生によると、七五調を朗誦する=気分を出して読むとき、我々(とは、日本語の七五調に気持ちよさを感じる者達のこと)は二音一組(二音歩)の四拍子で読むという。


 四拍子にはもちろん、いろいろなリズムパターンがあるのだが、川本先生の唱える七五調の四拍子は、八分音符主体でこんな強弱があるという。


弱|強弱|弱|強弱‖弱|強弱|弱|強弱|


 八分音符なので、強弱一組が4つ=8文字で1小節(つまり、上の例は2小節分)。1拍目に一番強いアクセントが来て、3拍目にやや強いアクセントが来る。


 例えば、8文字×2の文、「いなもとよしのり、あたまがわるいぜ」なら、


な|もと|し|のり‖た|まが|る|いぜ|


 という強弱になる。会社でこれをご覧になっている方は、ぜひ大声で読み上げていただきたい。


 繰り返すが、8文字で1小節だから、七字句の場合、どこか1箇所で八分休符が入る。下の例の「?」は、休符が入る可能性のある場所だ。


○○|○?|○?|○?‖


 川本先生の挙げている例では、こんな休符の入り方がある(×は八分休符。実際には休符ではなく、音を伸ばす=四分音符になる場合が多い)。


きし|の×|さく|らに‖
はる|かぜ|ぞ×|ふく‖
なが|れの|きし|に×‖


 一箇所だけ休符を入れる、あるいは音を伸ばすことによって、七字句を「三・四」に分けたり、「五・二」に分けたり、分けずに一気に読み切ったりできる。基本的には、言葉が切れるところで休符を入れるようだ。
 また、休符を入れる、音を伸ばすことによって、だらだらと読み流すのとは違うリズムの変化を生み出せる。


 一方、五字句の場合は、四拍目が必ず四分休符になる。その他に一箇所、どこかに八分休符が入る(あるいは音を伸ばす)。


○○|○?|○?|××‖


 例を挙げると、


うま|れ×|いで|××‖
えど|がは|の×|××‖


 これまた、言葉の切れ目をはっきりさせたり、リズムを生み出したりできる。


 川本先生は島崎藤村の「おえふ」という詩の一部を例にしている。こんな詩句だ。


水静かなる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の桜の花影に
われは処女(をとめ)となりにけり


青空文庫より)


 完全な七五調である。


 以下、手拍子を打ちながら、読んでいくとわかりやすい。


 川本先生の挙げている読み方では、


みづ|しづ|か×|なる‖えど|がは|の×|××‖
なが|れの|きし|に×‖うま|れ×|いで|××‖
きし|の×|さく|らの‖はな|かげ|に×|××‖
われ|は×|をと|めと‖なり|に×|けり|××‖


もう少し読みやすく、休符のところを音を伸ばすように書いてみましょうか。


みづしづかーなる えどがはのー
ながれのきしにー うまれーいでー
きしのーさくらの はなかげにー
われはーをとめと なりにーけりー


 てんですがね。
 わたしはそういうふうに読まないんですわ。自然な感覚だと。エエ。


 四拍子は四拍子なのだが、わたしの気持ちよくなる読み方はこうだ。


みづ|しづ|かな|る×‖えど|がは|の×|××‖
なが|れの|×き|しに‖うま|れい|で×|××‖
×き|しの|さく|らの‖はな|かげ|に×|××‖
×わ|れは|をと|めと‖なり|にけ|り×|××‖


みづしづかなるー えどがはのー
ながれの(ン)きしに うまれいでー
(ン)きしのさくらの はなかげにー
(ン)われはをとめと なりにけりー


(ン)のところは八分休符なのだが、ま、気分を伝えるために(ン)にしてみた。


 川本先生によれば、拍のアタマに休符が入ることはないんだそうだが(もっとも、近世歌謡調の小唄や民謡は別だそうである)、わたしは拍のアタマに休符を入れたほうがむしろ気持ちよく読める。


 芭蕉の「古池や蛙飛込む水の音」を、川本先生はこう記している(手拍子、ハイ!)


ふる|いけ|や×|××‖かは|づ×|とび|こむ‖
みづ|の×|おと|××‖


ふるいけやー かはづーとびこむ みづのーおとー


 私はこう読むのが気持ちよい。


ふる|いけ|や×|××‖×か|はづ|とび|こむ‖
みづ|のお|と×|××‖


ふるいけやー (ン)かはづとびこむ みづのおとー


 歌舞伎の河竹黙阿弥三人吉三」のお嬢吉三のセリフなら、


×つ|きも|おぼ|ろに‖しら|うお|の×|××‖
かが|りも|×か|すむ‖はる|のそ|ら×|××‖
つめ|たい|×か|ぜも‖ほろ|よい|に×|××‖
×こ|ころ|もち|よく‖うか|うか|と×|××‖
×う|かれ|から|すの‖ただ|いち|わ×|××‖
ねぐ|らへ|×か|える‖かわ|ばた|で×|××‖
×さ|おの|しず|くか‖ぬれ|てで|あわ|××‖


(ン)つきもおぼろに しらうおのー
かがりも(ン)かすむ はるのそらー
つめたい(ン)かぜも ほろよいにー
(ン)こころもちよく うかうかとー
(ン)うかれからすの ただいちわー
ねぐらへ(ン)かえる かわばたでー
(ン)さおのしずくか ぬれてであわー


 と、こう読むのが心地よい。


 どうやらわたしは三字句のアタマに八分休符を入れたくなるらしい。シンコペーションに慣れているからだろうか。自分でも理由はわからない。


 ア、みなさんは、(ン)どうであろォ〜かァ〜。

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「今日の嘘八百」


嘘六百五十 今日より、屋号を「恥ずかしがり屋」と決めたので、見得を切ったら、大向こうから「ヨ!」、「恥ずかしがり屋ッ!」と掛け声をかけていただきたい。見得を切ったまま、赤面すると思います。