おバカさま

 最近は少し収まったのかもしれないが、一昨年、昨年あたりは格差、格差とやかましいくらいだった。


 ほどほどにしといたほうがいいんでは、と思う。


 何だかんだ言っても、全般的には日本はいい社会だと思う。


 そりゃ、いろいろと直すべきところはあるだろうけれども、電話一本で救急車が来てくれる、選ばなければ食べ物はある、医療がしっかりしていて乳幼児の死亡率が低い、本人のやる気は別として教育がきちんと受けられる体制はある、ゲリラがいない、水道の水が飲める、めったに停電しない、偏ってはいても国内や海外のニュースが一通り手に入る、選挙がのんきな状態でできる、テレビで時間をつぶせる、なんていう国は世界にもそう多くはない。


 では、そんななかでなぜ不幸な気になるかというと、まあ、理由はいろいろだろうけれども、ひとつにはやたらと人と比較したがる、ということがあるんじゃないか。


 あいつはこうなのに、おれはこうだ、などと、比較して悔しい思いをし、そうして、それが積み重なると惨めな気になってくる。あんまりいいこっちゃないヨ、と思う。


 まあ、人と比較したくなるのも人の性(さが)ではあるし、また、それがバネになるなんてこともあるんだろうけれども、悪い方向に行くこともままある。


 苦しみというのは比較するところから始まるのです――って、何だか、インチキ宗教家の言い草みたいになってきたけれども。


 インチキ宗教らしく、ご本尊を用意しよう。



おバカさま


 この方は自分よりもバカであるとか、お金がないとか、勉強ができないとか、地位が低いとか、運動神経が鈍いとか、年金がもらえないとか、競馬は単勝一番人気しか当たった試しがないとか、働く気がまるでないとか、大変に不幸であるとか、地方出身者であるとか、キャラクターは各自で設定していただきたい。


 そうして、自分が人とヤな比較をしそうになったら、おバカさまをバカにするといい。


 格差、格差と言い立てながら、一方で「がばいばあちゃん」を褒め称えたりして、ホント、人間っていい加減なもんなんスから。

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「今日の嘘八百」


嘘六百三十八 佐賀の青年会議所の前にがばいばあちゃんの銅像が建つそうである。