今まで何度も引用してきた文章なのだが、書いていることに全くもって太田道灌なので、ご容赦いただきたい。ニック・ホーンビィ「ソングブック」より。


ソングライティングが詩とはまったくちがったアートであることをぼくらは忘れがちだ。ボブ・ディランである必要はない。セリーヌ・ディオンに曲を提供するようなどこかの誰かさんである必要もない(言いかえれば、「夢」だとか「ヒーロー」だとか「生きぬく」だとか「心のなかで」なんていう言葉やフレーズを使わなくたってかまわないってことだ。だって、人生はフォードのニューモデル用の広告じゃないんだから)。誰だって勇気さえあれば、コール・ポーターになろうとしてみることはできる。雰囲気と豊かな細部と機知と真実にあふれた歌作りを目指すことはできる。


 簡単に補足しておくと、ボブ・ディランの歌は、歌詞だけを取り出しても詩として鑑賞に堪えうる(らしい。判断がつかない)。


 セリーヌ・ディオンは、「夢」だとか「ヒーロー」だとか「生きぬく」だとか「心のなかで」なんていう言葉やフレーズを、恥ずかしげもなく歌っている(らしい。これも正確なところは知らない)。


 コール・ポーターは、アメリカのいわゆるスタンダード曲をいろいろ書いた人で、「オール・オブ・ユー」や「ナイト・アンド・デイ」なんかが有名。曲名は知らなくても、彼のメロディは多くの人が耳にしている(んじゃないか)。


 年末は、家族とヨッパラいながら、紅白を見るともなしに見ていた。


 最近の歌は知らないのだが、特にポップスの曲に、ニック・ホーンビィの言う「『夢』だとか『ヒーロー』だとか『生きぬく』だとか『心のなかで』なんていう言葉やフレーズ」の類がやたらと出てくるので、ちょっと呆れた。


 付け加えるなら、「まっすぐ」、「頑張って」、「きっとうまくいく」、「明日が待ってるよ」なんていうのもあったような、年の暮れの酔いの上澄みの淡い記憶。


 実にひどいことになっておるなあ、と、鍋の肉の所有権をめぐって、家族とつかみ合いの喧嘩をしながら、そう思った。


 歌詞に、ひねりも気のきいたたとえもうらぶれも、何にもナシ。渾身の直球・ド真ん中、ただし時速90キロ、という具合で、何かこう、前掛けをしてビスコを食わされているような、気恥ずかしい気分になった。


 いやねえ、何も全員が井上陽水になれ、とか、阿久悠先生を見習え、というわけではないが、もう少し芸や、己を恥じる部分があったってよかろうに、と思う。


 では、演歌は、というと、たいていがいかにも古くさい。古いのは別に悪いことではないけれども、古くさいとなると、これはよくない。時代を忘れさせるか、ある時代に引っ張っていく、ということができていなかったのかもしれない。


 一方で、氷川きよしのように演歌のパロディの方向に行く手もあるんだろうが、どうせパロディなんなら、もっとドカンと突き抜けたほうが面白いだろうに、と思う。中途半端はよくない。
 氷川きよしには、ぜひ、かつての細川たかしに学んでいただきたい。行くところまで行くべきである。


 何言ってんだか全然わからない人もいるだろう。大丈夫だ。わたしにもわからない。


 あと、今に始まった話ではないが、自分の名前を欧文表記にするのはどうなのか。人生幸朗先生が生きていらっしゃったら、どのようにボヤかれることか、と、Yoshinori、心のなかでそっとそう思うんだ。


ソングブック (新潮文庫)

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「今日の嘘八百」


嘘六百二十七 裏番組の中では、欽ちゃんと二郎さんの野球拳が一番よかったです。