痒み

 痒みという感覚は不思議で、痒そうなものを見ているだけで痒くなってくる。


 昨日のピパピパのムービーなんていうのもそうだし、シンプルに「痒い」という字を見ているだけでも、どこかが痒くなってくる。


 痛みにはそういうことはない(心の痛み、なんていうのは置いておく。あれは比喩なので)。


 肉体的な痛み、例えば、柱のへりに足の小指をぶつけた痛みというのは、見ていて、自分に伝染することはない。
 殴られたり、蹴られたり、ムチでしばかれたりしている人を見ても、目をそむけたくはなるが、その痛みの感覚を自分が直接感じはしない。


 一方、痒みは伝染する。精神的な部分が結構作用するのかもしれない。


 もっとも、個人差はだいぶありそうだ。
 わたしはアトピー、乾燥肌、しかも馬鹿というヘレン・ケラーもビックリの三重苦を背負っているので(馬鹿は関係ないか)、痒みが伝染しやすいようだ。


「隔靴掻痒」なんていう四字熟語は、見ていてたまらなくなってくる。「痛痒感」とか、「麻疹」「発疹」「赤いポツポツ」なんていうのも苦手だ(得意な人はいないか)。


 悔しいので、読んでいらっしゃる方を巻き添えにしてやろう。


痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い


 じっと見ていると、どこかが痒くなってくるのではないか。
 別に何ともない人は、それだけ幸せを持っているのだ。神様にでも、お釈迦様にでも、お星様にでもいいから、感謝の念を捧げていただきたい。


 痒みのメカニズムというのはまだ完全には解明されていないそうだけれども、神経をある種の物質が刺激すると痒く感じるらしい。


 アレルギーについては、ヒスタミンという物質が悪さをする。こやつが細胞から過剰に分泌されると、血液やなんかを通じてわっと広まって、カイカイマンになる、ということのようだ。


 ここから先はわたしの勝手な憶測だけれども、痒そうなものを見ていて、本当に痒くなる(痒みが伝染する)理由は、細胞内のヒスタミンが仲間を見つけて、ウレシクなってわっと外に繰り出すからではないか。
 基本的に迷惑なうえに祭好き、しかも馬鹿という、実に困った連中である。


 修験道や武術のほうでは、滝に打たれる、なんていう修行があるが、いっそ、座禅やなんかを組んで、ただひたすらに、


痒み


 という字を見つめて耐え続ける、というほうがよほど精神力がいるのではないか。


 そうやって鍛えた精神が何の役に立つのかは、さっぱりわからないけれども。

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「今日の嘘八百」


嘘六百二十二 「五体大満足」という本を出そうと考えております。