天の邪鬼のせいか、地球方面の話で象やクジラ、シャチやシロクマが出てくると、引っかかる。
さらに「人間の傲慢」とか、「人間の勝手な都合で」という類のフレーズと合体すると、そっぽを向きたくなる。
ハワイかどこかでエアブラシで海の中を描いている人の絵を見せられたときの、うへっ、という感覚に通じる。
なぜ地球方面の話になると、すぐに、わくわく動物ランドの可哀想バージョンみたいなほうへ行くのだろうか。
わたし自身は、シロクマがどうなろうと知ったことではない。絶滅したって、「あ、そうなんだ」と言う程度だろう。知り合いもいないし。
シロクマを何とかする前に、わたしを何とかしていただきたい。違うか。
ただ、シロクマが絶滅せざるを得ないような状況がまわりまわって、人が死ぬとか、苦しい思いをする、というのは避けたほうがよいとは思う。呼べば救急車がすぐ来るような繁栄というのも結構なものだ。
ハイ。人間の勝手な都合でございます。文字通りの意味で、人間中心主義であります。
人間の腸内には約100兆の細菌がいるのだそうで、世界人口を仮に65億人として単純計算すると、人類は腸内に6500垓(ガイ。垓は京の1万倍、京は兆の1万倍)の細菌を宿している計算になる(実際には、個人・地域による誤差がもの凄いだろうけど)。
なに、腸内ばかりではない。今、これを読んでいらっしゃる方が手をついている場所、尻を置いている場所にも大量の細菌がいる。そうじゃないところにもたくさんいる。
単に人間が肉眼で見えないというだけの話で、生物全体から見れば、地球はむしろ細菌のものだと言ったっていいくらいではないか。
あるいは、生物と呼んでいいのかどうかわからないが、天然痘ウイルスは、ワクチン接種が進み、1980年にWHOが根絶宣言を出した。今は一部の研究所で厳重に保管されているだけで、天然の天然痘ウイルスは存在しない(と少なくとも考えられている)。
しかるに、天然痘ウイルスの絶滅を、「地球レベル」で考えて悲しんだり、憂えたりする人は、まずいないのではないか。
そんなこんなで、シロクマの危機だって、結構、人間の勝手な都合で語られているように思う。
まあ、シロクマやシャチ、クジラは、しめ縄や神社の鳥居、交通標識みたいなもので、神域を示したり、注意を喚起したりする意味もあるんだろうけれども。
こういうことを書くのは、もちろん、リッパなものを引きずり下ろしたい、「ウヒヒヒ。あんたもホントはおれと同じだろ」と言いたい、というイヤラしい根性からなのだが、それだけじゃないと思うんだけどな。自分では。
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「今日の嘘八百」
嘘六百十八 などと書いていたら、フランスのブリジット・バルドー女史から公開質問状が送りつけられました。