国家論

 もちろん、タイトルは冗談である。わたしのような馬鹿者に天下国家を語れるわけがない。


 ま、しかし、ぼんやりとしてでも四十年ばかり国家と付き合っていると、わかってくることというのもある。


 ちょっと考えてみればわかるが、国家というのは基本的にヤクザやマフィアと同じようなことをやって暮らしている。
 ヤクザ、マフィアが国家と同じようなことをやっている、と言ってもいい。


 ヤクザ、マフィアは、元々、地域や小グループの自治組織の面もあったから、当たり前といえば当たり前なのだが。


 国家の側から書くと、戦争という名称の喧嘩(でいり)をやり、武力を背景に外交という名の交渉事をやる。縄張りの境界線についてはひどくうるさい。面子にこだわる。日本とアメリカのように盃を交わす場合もある。


 バクチを仕切り、口入れ稼業をやる。大規模な土木工事を仕切る。
 クスリも扱うが、日本の場合は、煙草というつまらないクスリを扱う組織を、だいぶ前に分家した。先があんまりなさそうだ、という計算も、上層部にあったのかもしれない。なかなか非情である。


 そう考えると、国家、警察が暴力団を目の敵にする理由もよくわかる。縄張りを荒らされるのが我慢できないのだろう。


 縄張りといえば、その中に住む人間や店、会社からは、みかじめ料や所場代をきっちり取り立てる。
 払わないとひどい目に合わされる。「払わないと、こういう目に合うんだぜ」と見せしめにされる人もいる。


 戸籍とか、入国管理、というのは、つまりは自分の縄張りにいるやつの素性や所在をしっかりつかんでおこう、ということだろう。


 言うことを聞かない人間には、乱暴な人々を送り込むことになっている。


 そう考えると、イラクのようにいきなり政府がなくなってしまうと、土着の中小勢力が台頭してくるのはよくわかる。
 もちろん、勢力争いという面もあるのだけれども、一方で、誰が面倒を見るのだ、こやつらの、という話もあるのだろう。


 消防は、ヤクザにはない機能かもしれない。町内の火消しを丸ごと取り込んだ、ということか。


 じゃあ、救急は、となると、うちの若えのをすぐにやって運ばせるから、と考えられないこともない。


 だから、いい国家というのは、ま、任侠のあるヤクザあたりなんではないか。
 日本は、いろいろ不平不満を言う人間もいるけれども、世界的に見れば、これで結構、任侠のあるほうだと思う。
 生活の立ちゆかなくなった人には、いくらかお金を回してくれたりもするし。


 この、国家≒ヤクザ(マフィア)論というのは、昔から考えていたことなのだが、年金はどう捉えればいいのだろう、とよくわからなかった。
 しかし、最近、ある人から話を聞いて、得心が行った。「ああ。あれはね、振り込め詐欺だよ」だそうだ。


 教育、科学振興なんていうのも、ヤクザの仕事にはないが、まあ、縄張りの中が栄えれば、それだけ勢力が増す、実入りも増えるということなのだろう。


 そんな目でいろいろなものを見直してみると、なかなか面白い。


 明治維新なんていうのは、司馬遼太郎の影響か、随分高く評価する人がいるみたいだけれども、長州・薩摩の武闘派(尊皇過激派。あるいは当時の市井の人から見れば、テロリストそのものだろう)が、昔々に組を旗揚げしたとされる一族の子孫を担ぎあげた。そうして、昔、実力で組の実権を奪った親分の一統を抗争の末にやっつけて、上層部を自分達の派閥で固めた、と、そういうことなのではないか。

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「今日の嘘八百」


嘘六百十七 「水戸黄門」は、実は比喩的手法で明治維新の記憶を止めるための番組である。助さんは長州、格さんは薩摩である。