積年の恨み、という言葉があるが、積年の疑問、というものも、またあると思う。
長い間、ナンダロネー、と思いながら、何となくそのままになっているもの。何かの拍子に思い出して、ナンダロネー、とまた思うのだが、やっぱり、何となくそのままになってしまうもの。
わたしはそういうものをたくさん抱えている(ような気もする)のだが、昨日、ひとつ解けた。
広辞苑を引いていたら、ふと「しりこだま」という項が目にとまった。
しり-こ-だま【尻子玉】肛門にあると想像された玉。河童かっぱに抜かれると、ふぬけになるといわれる。傾城買二筋道[―をぬかれねへよふにしや」
ソイコトデシタカ。
わたしは、てっきり尻子玉とはこういうものだと思っていた。
河童はどうやって玉を抜くのだろう、と不思議だった。
広辞苑の説明を図解すると、こういうことらしい。
尻の断面図(尻子玉の図解)
いや、ラムネの玉方式になっているのかどうかはわからないが、しかし、仮にこうだとしたら、いろいろとリクツもつく。
いわゆる「ケツの穴をキュッと締める」というときや、シモの話で恐縮だが、ウンコを我慢するとき、我々は尻子玉で門をふさぐわけだ。
どうぞお通りください、というときには、尻子玉に脇にのいてもらう。
そういう大事な役目を果たしている玉を河童に抜かれれば、そりゃあ、ふぬけにもなるだろう。何しろ、うっしゃっ、と気合い入ようとしても、ケツの穴が締まらない。
川で泳いでいて、尻の穴にいきなり河童の手を突っ込まれたら、驚くし、怖いに違いない。
そうして、しばらくして気がつく。「あや、締まらない……」。
締まらないというより、閉まらないか。門をふさぐものがない、というのは、いささか思いやられる、その後の人生である。
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「今日の嘘八百」
嘘三百十一 港々に女はいます。わたしの女じゃないだけで。