そこから感じられるものは何か

 まずは黙って(別にわめきながらでもいいが)、この文章を読んでいただきたい。


「児島が、電車で死をとげた事を知った時も、僕は気にしながらつい失礼してしまった。児島にあえば笑ってすませると思ったが、失礼して、今日まですごして来たわけだ。もちろん逢えば笑ってすませることだろうと思う。児島とあえば笑ってすませるのかも知らないが、児島の事を思うとつい笑ってすまない顔をしてしまうかも知れない。児島は逢えば笑ってすませる所と思うが」


 武者小路実篤、御年九十歳のときの文章である(「人間臨終図巻III」山田風太郎著、徳間書店ISBN:4198606129、文庫版ISBN:4198915113〕より。原典はPR誌「うえの」に掲載されたもの。以下も同じ)。


 こういうのもある。


「僕は人間に生れ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい」


 雑誌の編集部は、どういうつもりで原稿を依頼したのだろうか。


 一本目の原稿が届いたときに、「ム。武者小路先生は今、凄いことになっている」というのはわかったろうに。
 一本目はともかく二本目の原稿も頼んだ理由がよくわからない。編集者が面白がったのだろうか。


 山田風太郎はこれらの文章を評して、「脳髄解体。――」と書いている。


 こういう文章を国語のテストに出すと面白いと思う。
「この文章の要旨を二十字以内で書け。」なんて問題があったら、武者小路先生にとって、少々、残酷である。


 一方で、ただ同じようなことを繰り返しているだけなのだが、不思議な魅力もある。
 もちろん、あの武者小路先生が九十歳で書いた、という前提があって、初めて感じられる魅力なのだが、ただ同じようなことを繰り返しているだけなのだ。しかし、不思議な魅力もある。同じようなことを繰り返している。あの武者小路先生が九十歳で同じようなことを繰り返しているだけなのだが、九十歳で書いた、という前提があって、初めて感じられる不思議な魅力がある。ただ同じようなことを繰り返している。ただ同じようなことを繰り返しているだけなのだが(以下、略)。


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「今日の嘘八百」


嘘二百十五 デューク更家が足をギクった。