わたしと東京

 初めて東京に来たときのことを、今でも覚えている。


 高校3年のときで、東京の大学を受験する下見だった。確か、秋だったと思う。


 正確には、幼児の頃にも家族の旅行で東京に来ているはずなのだが、全く覚えていない。高校3年生のときが初めての上京と言っていいと思う。


 話がそれるが、この「上京」という言葉、なかなか複雑なニュアンスを含んでいる。


 わたしのように地方で生まれ育った人間からすると、東京へ「上る」のであり、敵は一段(か二段か知らないが)高いところにいることになる。
 何かこう、夢を抱いて挫折――「私、東京で歌手になるの」――というイメージもあり、集団就職のにおいもかすかにあり、「母ちゃん、東京はコワいところだァ」というイメージもある。


「物語」をつけて、「上京物語」とすると、それだけで何かドラマチックでセンチメンタルでピュアで純粋でほろ苦くてウレシハズカシで銭湯帰りに「つまんねえや」と石を蹴るような香りがする。そうでもないか。


 高校3年生のわたしに戻る。


 同じ高校の友達2人と、富山から東京に来た。当時はまだ上越新幹線がなく、朝早くの特急に乗り、6時間かけて、東京に来た。


 大宮あたりからビルが延々と続き、日暮里あたりからネオン(昼なので点っていなかったが)が線路際にずーっと連なっているのを目にして、田舎の高校生3人組の緊張感は高まった。
 特急の窓から見る東京は、人とクルマは多いけれども、不思議と静かで、とり澄ましている感じがした。


 何しろ、こちらはコンプレックスびんびんである。


 方言は恥ずかしいものだ、という感覚があったから、「東京にいる間は絶対に富山弁を使わない」という誓いを3人で立てた。
「最初に富山弁を使ったやつが飯をおごる」という罰則規定も設けた。


 今、思い返すと、可愛らしい。しかし、当時の当人達は大まじめで、異様に肩に力が入っていた。