驚天動地

 日本語には、中国由来の熟語が数多くあって、和語に比べて、大げさに感じられるところが面白い。


 例えば、「勧善懲悪」は、和語で言えば、善い行いをすすめて悪いことをこらしめる、という平易なことだ。
 しかし、勧善懲悪、と来た途端に、時代がかって感じられる。悪はまず助かるまい、というふうになる。


 一意専心とか、勇猛果敢とか、言語道断とか、漢語には、全般に「頑張っちょります」、「いささか硬いのであります」という感覚がある。
「惰弱なる精神」なんて書くと、うっかりすると力強さを感じてしまう。


 日本人だけが漢語に強さ、大げささを感じるのか、それとも中国人も同じように感じるのか、興味がわくが、どっちなのかは調べてみないとわからない。
 ただ、漢語に大げさな発想が多いのは確かだ。


 数字の出てくる熟語を考えてみれば、わかりやすい。


一騎当千の強者」などというけれども、いくら強い武将といっても、千人に匹敵する、というのはいくら何でも言いすぎだろう。
 本当に一騎当千なら、そういう人を7、80人も集めれば、関ヶ原の戦いに勝てる計算になる。


 なお、上には上がいて、万夫不当を揃えれば、関ヶ原は7、8人で片づく。


 白髪三千丈というのは、周尺で計算すると約5.1km。大げさにもほどがある。
 毛髪は1日に0.3mm伸びるそうだから、三千丈まで伸びるには1700万日、4万6千年以上かかる。中国四千年の歴史の、さらに10倍以上の時間が必要だ。


 数とは関係ないが、わたしの好きな表現は「怒髪衝天」というやつだ。
 何たって、怒った髪が天を衝くのだ。凄いパワーである。怒っただけなのに。


 こういう言葉は、本来の大げささとは逆に、日常生活の中でさらっと口にするのがいい。


「あいつ、約束の時間に30分も遅れてきてさ。こっちとしちゃ、何つーの、怒髪衝天?」


 と、こう、軽く使ってみせるのが、ニューヨーカーの洒落た会話術である。嘘である。


 ヤンキーが漢字だけのメッセージを好むのは、漢語のこうした誇張した力強さを、本能的に感じているからかもしれない。


 反対に、改めて考えてみれば凄い表現なのに、さほど意識されない場合もある。


「A君とBさんが今度、結婚することになったという。ふたりとも大学時代からの知り合いだが、付き合っていたとは知らなかった。まさに驚天動地の出来事であった」


「まさに」どころの話ではない。天が驚き、地が動くのである。A君とBさんが結婚するせいで、天変地異が起きてしまう。


 というわけで、いささか唐突ですが、驚天動地を絵にしてみました。



「驚天動地」


 A君とBさんの結婚がよほど衝撃だったのでしょうか。


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「今日の嘘八百」


嘘百九十 ボルトン国連大使は口髭で書を書ける。