よくある、最近の若いやつは〜、という話なのだが、若いやつらというのは、どうして、ああもまわりへの気遣いがないのだろうか。
若いやつらの習性に、やたらと群れたがる、つるみたがる、というのがある。
そうして、狭い歩道を、5、6人、ダベりながらだらだら、のたくたと歩く。邪魔でしょうがない。
わたしはせっかちかつ瞬間湯沸かし器なので(火力はきわめて弱い)、イラッと来る。
「忍」、「抑」の字を頭の中に書きながら、「スイマセン!」と、いささかケンのある声で言う。目からは、邪魔だどけビームが出ている。
先方は単にまわりへの気遣いがないだけなので、さっと道をあけるのだが、なぜ、わたしのほうが「スイマセン!」などと言わねばの娘なのか、釈然としない。
わたしは武士道とか、サムライ・ニッポンだとかの主義は信奉しないほうなのだが(ご先祖様がどんな身分で、どんな人間だったか知らないし)、こういうときばかりは、切り捨て御免というのはいい制度だな、と思う。
狭いコンビニの通路にたむろして、行く手をはばむ者どもを、「無礼者っ!」と、抜く手を見せぬ居合い抜きで、鮮やかに切って捨てられたら、さぞや気持ちがよかろう。
まあ、若いやつら、といっても、本当はひとくくりにはできなくて、中には気遣いのあるやつもいる。
わたしが近づくと、邪魔だどけビームをいちはやく感じてか、「おい、おい」とまわりのやつらに道を空けさせる。
では、そういうやつをわたしが気に入っているかというと、そうでもない。「そんなに卑屈に生きていちゃあ、大して出世はできんよ、キミぃ」などと、内心、コケにしている。
もちろん、わたしも出世はしていないが。
要するに、どう振る舞おうが最近の若いやつらは気にいらん、というわけで、なんとも狭量でお恥ずかしい限りだ。
若いやつらというのは、男にとって仮想敵であり、近い将来のライバルである。
何たって、敵はこれから上昇曲線を描こうとしているのだから、こちらとしては、叩けるうちに叩いておこう、という気にもなる。
思い返してみれば、わたしも若い頃は、やたらと群れたがり、つるみたがり、のたくたと道をふさいでいた。
今、のたくたとしている若いやつらの中からも、将来、こんなひねくれた文で「最近の若いやつは〜」と書くやつが出てくるのだろう。
人類は本当に進歩しているのであろうか?
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「今日の嘘八百」
嘘百八十八 うさぎと亀の亀は、あの後、過労死した。