媚びるもの

 今日は「ワタクシはこういう人間である」というワタクシ話になってしまうが、我慢してお付き合い願いたい。


 この年になって、ようやく、ああ、自分はこういうふうにできてるんだな、と気づくことがある。まあ、鈍感だったということなのだろう。


 わたしは物事に対する好き嫌いが激しい。
 特に嫌いなものは徹底して嫌いで、「嫌うね、またおれも」と自分で感心してしまうくらいである。


 例えば、セルアニメが嫌いで、ファンシーなものが嫌いで、ディズニーランドが嫌いで、役所のひらがな表記が嫌い(「いきいきふれあいナントカ」の類)。
 これらが好きな人々には申し訳ないが、今日はあくまでワタクシの好き嫌いの話をしている。あきらめていただきたい。


 全般に子供っぽいものが嫌いなのだなあ、と思っていたのだが、どうもそれだけではなさそうだ。


 蛇が嫌いで、なれなれしい口調で書かれた文章が嫌いで(「でね、〜じゃない?」の類。会ったこともないのに、そんなふうに語りかけられる筋合いはないと思う)、川淵キャプテンのキャプテンという言い方が嫌いだ。


 どうやら、ワタクシは、ロコツに媚びているもの、すり寄ってくるものが嫌いであるらしい。
 寄らば斬る、と思う。


 それで思い出したことがある。


 わたしは十代の頃、凄まじい美少年で、ギリシア神話ナルキッソスが裏日本に生まれたらこういう容姿になるのでは、と言われたものである。


 あるとき、商店街を歩いていたら、道行く女性達が足を止め、いっせいに媚び出した。面倒くさいなあ、と思いながら歩いていると、彼女達はすりすり、すり寄り始めた。
 ええい、邪魔だ、邪魔だ、と手にした妖刀村雨で当たるを幸い、次から次へと斬って捨てた。


「富山・総曲輪通り百人斬り」という、地元では割と有名な話は、ここから来ている。


 まあ、しかし、そんなことはとりあえずどうでもよい。


 ロコツに媚びているものが嫌い、というのは確かで、噂に聞く秋葉原メイド喫茶なんぞに行こうものなら、ゲロを吐き散らすか、暴れて店内をメチャクチャに破壊してしまいそうな気がする。


 媚びるなら、上手に媚びてほしいと思う。


 わたしは凛としたものが好きで、そういうものを見ると、「おお、お前も凛としておるか。わたしも凛としておるぞ!」と思う。
 凛としたうえで、好意を示す。これはいい。とてもいい。


 こんなことを書くと、「てめえ、凛としてんのか」と言われそうだ。悪いが、凛としている。


 ただ、それを支える体力とやる気に欠けるだけである。


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「今日の嘘八百」


嘘百八十七 マッチ売りの少女が燃えかすをきちんと処理しておかなかったため、コペンハーゲンの街は一夜で灰燼と化したという。