美人水平考

 いささかガクモン的言い回しになってしまうが、美人の基準を考えるとき、水平的見方と垂直的見方ができそうだ。


 水平的見方というのは、美人の歴史的移り変わりを考えるものだ。


 各時代には各時代の、美人の基準がある。
 例えば、平安時代の絵巻物ならシモブクレ、江戸時代の浮世絵なら瓜ざね顔・細目・おちょぼ口、というのが美人の典型だ。


 これらの顔立ち、現代ではあまり美人のほうではないだろう。


 戦後すぐの日本映画を見ると、主演女優はきれいだなあ、と思う。
 現代の美人の基準と、戦後すぐの美人の基準は、そんなに違わないということなのだろう(もちろん、ファッションの感覚はだいぶ変わったけれど)。


 じゃあ、江戸時代のあの浮世絵美人から、戦後の美人(現代型美人)へと、いつどういうふうに基準が変わったか、というと、よくわからない。


 普通に考えれば、明治、大正期ということになりそうだが、さてどうなのか。


 明治時代の芸者や遊技の写真を何枚か見たことがあるが、今のわたしの観点からして「おお! これは!」という美人に出会ったことがない(もっとも、写っていたのが美人とは限らないけど)。


 一方で、大正期に活躍した竹久夢二の絵を見ると、「美人だなー」と思う。竹久夢二の描く美人は、すでに現代型美人だ。


夢二郷土美術館 - ギャラリー


 してみると、明治期に美人の基準が変わったのだろうか。
 もしそうだとすると、どんなふうにして美人の基準は変わったのか。


 いくつか、仮説を立てられる。


1. 江戸期の浮世絵美人と現代型美人が、一時期並行して、美人と捉えられていた。浮世絵美人がやがて衰退した。


2. ある時点で、浮世絵美人から現代型美人へとがらりと人の価値観が変わった。進化論で言う大進化のようなことが、美人像にも起きた。


3. 浮世絵美人から現代型美人へと少しずつ変化した。明治期に浮世絵美人から現代型美人へとモーフィングのようなことが起きた。


 もし3だとしたら、モーフィング中の、浮世絵美人と現代型美人の平均値をとった美人というのは、随分奇妙な顔になるようにも思える。


 が、例によって、圧倒的知識の不足により、結論は何も出ないのであった。


 美人についての垂直的見方については、明日、書きます(たぶん)。
 乞うご期待! たぶん、期待外れだろうけど。


▲一番上の日記へ

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘百八十五 ジダンマテラッツィに「僕に頭突きしてみませんか」と誘われたのだそうだ。