はとがで遊ぶ

 あくまで感覚的な話なのだが、「は」と「が」を入れ替えただけで、文章の印象がだいぶ変わることがある。


 例えば、「鉄は熱いうちに打て」という言葉がある。わたしくらいの年になると、「ンな冷たいこと言わないでくださいよ」と手遅れの感を抱いてしまうのだが、それはまあ、よい。


 これが、


鉄が熱いうちに打て


 となると、ただの作業手順の話になってしまうから不思議だ。「蕎麦に水気があるうちに打ってください」というのと、あまり変わらない。


 シーザーに「賽は投げられた」という有名な言葉がある。政敵に決戦を挑むためにルビコン川を渡る際、こう言ったという。勝負に出てしまったのだからもう後戻りはできない、イケイケドンドン、エッサッサーというような意味だ。


 これの「は」を「が」に変えて、


「賽が投げられた」


 とすると、急に客観的・観察的な態度に見えてくる。俳句における正岡子規の「写生」の態度すら感じられる。
 一方で、どこか投げ遣りだ。軍の士気も盛り下がったに違いない(ま、シーザーと部下達が日本語でコミュニケートしていたならの話だが)。


 マリリン・モンロー主演の「ショウほど素敵な商売はない」という映画がある。これも、


「ショウほど素敵な商売がない」


 となると、いきなりハローワーク的な話になってしまう。まあ、なかなか思うような仕事に出会いにくい時代ではある。


 最後は、逆に「が」を「は」に変えて。


生きるか、死ぬか、それは問題だ。


 確かに、それは問題だ。


▲一番上の日記へ

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘百六十八 ターミネーター4では、あちこちの故障に悩む老境モデルのターミネーターが登場する。