他にも、中まで入れれば面白いものがいろいろありそうだが、とっかかりのところで敬遠してしまうもの、というのが、ある。
わたしにっとては、セル・アニメもそういうもののひとつだ。見始めても、すぐに嫌気がさしてくる。
理由は、
目がデカい。
これが大きい。
セル・アニメを抵抗なく見ている人には、この感覚、わからないだろう。わからないのは幸せなことだ。
例えば、人間の内奥に迫る、深遠な作品があるとしよう。
しかし、登場人物が、浮世絵の美人画のような細目シモブクレ的人物や、古代エジプト絵画の顔横胴前足横的人物だけで構成されているとしたらどうだろうか。
いくらそのドラマがうまくできていたとしても、多くの人はなかなか作品世界に入り込めないのではないか。
わたしは、それと同じような抵抗を、セル・アニメに覚えるようだ。
「じゃあ、目が小さければいいのか?」という話もあるかもしれないが、そう簡単ではない。
セル・アニメにはセル・アニメの伝統、文化のようなものがある。
効果音の使い方とか(ポワ、ポワ、ポワ、ポワワワワ〜ン)、声優のしゃべり方とか、キャラクターの表情の動かし方とか、しばしばあまり意識されずに受け継がれているものだ。ジャンル独特の“癖”といってもよい。
目のデカさ、というのはその象徴である。
わたしは、どうもそういう部分が苦手なようだ。
こういうことを書かれると、村上春樹ファンやセル・アニメ・ファンはちょっと嫌な気になるだろう。
別に村上春樹やセル・アニメを引きずり落としているわけではない。作品それぞれを賞味する以前の、きわめて表面的な部分だということは、自分でもわかっている。
わたしは、表面的な男。それが問題だ。
I'm superficial and I'm not proud. わっかんねえだろうなあ。
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「今日の嘘八百」
嘘百六十六 犬、猿、雉はリスクとリターンのバランスをよく理解していなかった。