スパゲッティ、コーラ、アイロン

 面白そうではあるのだが、なかなか近づけないもの、というのがある。


 虎の火の輪くぐりとか、ゴルゴ13にいちかばちか膝カックン、という話ではない。
 確かにそれらも近づきがたいが、危ないと言ったほうが端的である。


 ここで言っているのは、心理的な壁がある、というような話で、わたしの場合は、例えば、村上春樹の小説がそうだ。


 村上春樹の小説を読もうとすると、いつも序盤で壁にぶちあたる。


 主人公がスパゲッティを茹でたり、コーラを飲んだり、アイロンをかけたりするところで、挫折してしまうのだ。
 また、どういうわけか、村上春樹の主人公は序盤でやたらとそういうことをしたがる。


 そこを何とか突破して、主人公が女の子と出会ったり(これがまた、よく出会うんだ、彼の主人公は)、どこかでビールを飲んだり、オペラの曲を口笛で吹いたりするところも堪え忍び、話が転がり出すと、後は一気呵成だ。
 どんどん先を読みたくなるし、心も揺すぶられる。


 そういう体験をできるのだから、じゃんじゃん読みたくなりそうなものだが、いかんせん、わたしには序盤の壁が高い。


 スパゲッティ、コーラ、アイロン、ここらが厳しい。


 なぜ、そういう些末なことで挫折するのか、自分でもよくわからない。


 もしかすると、主人公がきちんとしていることに、抵抗を覚えているのかもしれない。


 わたしはすこぶるだらしのない男で、できれば他の人もだらしなくあってくれればいいなあ、と都合のいい希望を持っている。
 スパゲッティをきちんとアルデンテで茹でることや、アイロンの手順が決まっていることは、だらしなさとは反対の方向にある。


 コーラで挫折するのはだらしなさとは関係なさそうだが、あるいはFEN的な感覚が苦手なのかもしれない。


 FEN的な感覚、といっても、わからない人にはわからないですよねえ。わたしにも、うまく説明できません。


 まあ、非常に表面的な部分でひっかかっているわけで、もったいないといえば、もったいない。


 が、しかし、いくら表面的ではあっても、苦手なものは苦手だ。パイナップルは酢豚の本質ではないが、パイナップルの入っている酢豚は食いたくない、というのと同じである(のか???)。