「悲しみを隠しきれない様子でした」とか、「驚きを禁じ得ない」という表現もある。
悲しみや驚きって、隠したり、禁じたりしなければならないものなのだろうか?
――というようなことを、イン妻さんも書いていらっしゃった(白状すると、今日のネタ元である)。
例の、わたしのスルドくもよく外れる霊感によるのだが、「隠しきれない」、「禁じ得ない」という言い方は、感情を表に出すのは慎むべき、というモラルのようなものから生まれたのではないか。
一昔前のモラル、という感じもするが、案外、現代でも意識されないうちに残っていたりする。
例えば、「笑ってしまった」という言い方がある。「笑った」でもかまわないのだが、「しまった」が付く。
これも、つい表情を崩してしまった決まりの悪さや悔しさから来るのかもしれない(にらめっこのようなものである)。
もっとも、「笑ってしまった」は、それほどの笑いだったとか、「この(エラい)私が笑った」という強調表現ともとれ――うーん、何を言いたいのか、自分でもわからなくなってきた。元々、別に言いたいことなどなかったのかもしれない。
しょうがないので、絵で誤魔化すことにする。テクマクマヤコン、エイ!
驚きを禁じ得る人
もひとつ、おまけだ、エコエコアザラクッ!
驚きを隠しきれないへのへのもへじ
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘百六十五 今日は嘘を思いつきません。