昨日のちょい続き。
「男の」と付けると、しっくりこない商売がある。
例えば、駅の看板広告に時々、
女医
○○医院
と女であることをうたっているものがある。
女性の中に、できれば同じ女の医者に見てもらいたい、そっちのほうが相談しやすい、というニーズがあるので、「女医」ということを打ち出しているのだろう。
まあ、男性にも「できれば女の医者に……」というニーズがあるだろうが、それについては関知しない。
この種の広告が、
男医
○○医院
となっていると、どうもしっくりこない。
「できれば男の医者に……」というニーズもないわけではなかろうが、医者というのは男が圧倒的に多い。わざわざアピールするほどのことではないのだ。
同じ系統で、
女の産婦人科医
という広告もある。ニーズは結構あるだろう。これが、
男の産婦人科医
となると、いったいどういう層に訴えたいのか、よくわからなくなる。
もっとも、
男の(患者のための)産婦人科医
だとしたら、まあ、これだけ様々な世の中である。男の想像妊娠という一種の病気もあるかもしれない。
「男」を「漢おとこ」と表記すると、また違った味わいが生まれる。
漢おとこの産婦人科医
非常に義侠心に富んだ産婦人科医、という感じがする。妊婦の心をつかめるかどうかは、不明だが。
漢おとこの歯科医
となると、「おらっ。ちょっと麻酔すんの忘れたくらいで、ガタガタぬかすんじゃねえ!」と、乱暴な治療のうえに説教までされそうである。
わたしは、できれば遠慮したい。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘百五十七 世界の根本は=と>で成り立っている。