あるあるの笑いは受け手に「あるある」と思ってもらえなければ、「何ですか、それ?」で終わってしまう。
「子供の頃、そういうの、あったねえ」というタイプの笑いは、別の世代には、共通体験がないせいで通用しないことも多い。
そういうタイプの若手お笑い芸人は、同じ世代だけを相手にしていればいい間は(比較的小規模のライブとか)ドカーンと受けるかもしれない。
しかし、メジャーになると、もっと幅広い層にも受けなければならなくなる。そこで壁にぶつかることも多いようだ。
例えば、テレビを見て、息子や娘はゲラゲラ笑っているけれども、世代が違うので共通体験のない両親は、何が面白いのかさっぱりわからん、となってしまうのだ。
――などと、長々、書いてきたが、笑いの手法について理解したからといって、必ずしも人を笑わせられるわけではない。
打撃理論に詳しくなったからといって誰でも好打者になれるわけではないし、音楽理論に精通すれば名曲を書けるわけでもない。
もっとも、ヒットを打つことではなく、打撃理論を純粋に理論として分析する楽しみというのはある。
わたしは、時々、そんなスタンスで笑いの手法について考えてみる。人を笑わせようというわけではなくて、分析自体が楽しみなのだ。
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「今日の嘘八百」
嘘百三十九 あなたは明日、目が覚めたらわたしになっている。困るでしょー。