守護霊

 わたしはこう見えて(見たことないか)、冷感バリバリ、じゃない、霊感バリバリのほうである。


 しょっちゅう、「ム。何か、悪いことが起きる」と感じる。
 が、当たったためしがない。当たらない霊感バリバリ。実に無駄なことである。


 虫の知らせ、というのもあって、親思いのわたしは、例えば、「ム。おふくろに何かあった気がする」と感じるのである。
 電話してみると、「○○へ旅行に行ってきた! 楽しかったわあ!!」と全体的に「!」的態度で語られる。おふくろの楽しかった旅行を、虫が知らせてくれても困るわけである。


 あるいは、「おやじに何か起きた気がする」と感じる。
 電話すると、「あー、いい気持ちやあ」とヨッパラっている。まあ、何か起きた状態には違いないが、毎晩たいがいヨッパラっている人なので、虫の知らせなのかどうかはよくわからない。


 そんなこんなで、霊感が強い割には、霊的なことにあまり興味がないほうだ。
 しかし、あれやこれやと無責任に想像してみるのは、好きである。


 守護霊にまつわる話を聞くことがあるけれども、あれ、実際にはどうなのだろうか。


 いるかいないか、もちろん、わたしなぞにわかるわけがない。


 しかし、もしいたとして、生きている人物にピタッとくっついている、というのはどういうものなのだろうか。


 わたしの場合、仕事で一日中、キーボードをカタカタ打っていることもある。守護霊はそれをずっと見守っているのだろうか。さぞや退屈だろう。


 あるいは、トイレでいきんだり、オツリがあったり、道ですっ転んだりするところも見守っているのか。
 サラリーマンの長ーい会議で、つまらない部長の自慢話も一緒に聞くのか。


 いい加減、嫌気がさしそうだ。しかも、何十年と、そうしたくだらない出来事に付き合わなければならないのである。


 こっちだって、ちょっと引っかかる。
 まあ、守護していただいているのだから、あまり文句を言ってはいけないのだろう。
 しかし、高校んときの初デートとかね、○○さんに「○○」と言ったこととか、○○で○○したこととか、○年前に○○してしまったこととか、そういうの、全部、握られているのだ。うー、恥ずかしい。


 少なくとも、わたしはわたしの守護霊になりたくない。勘弁してくれ。


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