今日はわたしより若い方々には、あるいはわからないかもしれない話題。
まあ、世代の違いというものなので、血気盛んなセーショーネンのミナサンは、そこらへんで勝手にサカっていなさい。
わたしが二、三歳の頃だが、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」が大ヒットした。
物心もついてなかったろうに、なぜか、よく覚えている。もっとも、もう少し後になってから、青江三奈が歌うテレビでも見たのかもしれない。
「伊勢佐木町ブルース」では、
♪(タラッタ、ティラリラッタ、ラッ!)あん、あ〜ん
(タラッタ、ティラリラッタ、タン!)あん、あ〜ん
と、青江三奈がため息のような、タマラン声のような吐息を漏らす。
第二次性徴までまだ10年もある幼児のくせに、わたしは扇情的な気分になった。
今なら、「あおえみな、もえ〜」などと、ハイC(ハイ・ツェー)くらいの幼児ボイスで叫んでいるかもしれない。
あの、吐息。誰が考えたのだろうか。
おそらく、作曲家と作詞家が曲を作る中で「こうしよう」と決めたのだと思う。あるいはレコーディングの直前か最中に、作曲家か編曲家が思いついた可能性もある。
作詞と作曲のどちらが先になったのかは知らない。
近頃のニッポンのポップスの人々は、曲から先に作り、それにうまく合う歌詞を書くことが多いらしい。
しかし、昔の昭和歌謡は歌詞を先につくるほうが多かったようだ。
曲も何もできていない段階で、作詞家があれを書いたのだとしたら、凄い才能だと思う。
何しろ、原稿用紙にこんなふうに書くのだ。
繰り返すが、あのイントロの名メロディ(セーショーネンはわからんだろう。悔しいだろう。その悔しさこそが青春なのだ。知らんけど)はまだできていないのだ。
「出だしから『あん、あん』。これだね」
詞の段階であれが発想できたら、天才的だと思う。
なお、この文章を書くため、三日前に各方面へと放った情報員の報告では、伊勢佐木町には伊勢佐木町ブルースの歌碑があり、歌詞と楽譜が載っているのだそうだ。
さらなる調査によると、「あん、あん」は記載されていないという。無念である。悔しいのである。青春なのである。