元号

 最近は、以前ほど、元号が使われなくなった気がする。西暦を使うほうがずっと多いんじゃないか。


 これはあくまでわたしの話だが、昭和の頃は、正月に「今年は1980年か」と思うのと、「今年は昭和55年か」と思うのが、ほぼ同じ比重だった。


 今では、正月に「平成○年か」と意識することは、ほとんどない。
 逆に、平成○年と言われると、一瞬、いつ頃かわからなくて、まごついてしまう。


 これ、わたしだけだろうか。


 しつこく元号を使い続けているのは、官公庁である。何かの取り決めによるのか、暗黙のルールなのかは知らない。


 公的年金のような長期的スパンの話で、「平成62年には〜」などと言われると面食らってしまう。
 畏れ多いことながら、平成62年に今上天皇が生きていらっしゃったら、116歳か117歳である。泉重千代さんの記録に迫る勢いだ(なお、ここの文は、かしこくも、二重橋の方角に向かって、這いつくばって書いている)。


「平成」という元号が発表されたときは、衝撃的だった。


 ハコフグのような顔をした小渕元首相(当時は確か、官房長官)が、毛筆で書かれた「平成」を掲げた。それがなぜだか、衝撃的だったのだ。
 平成生まれのセーショーネンのミナサンにはわからんだろう。ワッハッハ。勝った!


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 完璧な構図だと思う。奇跡の一瞬だ。今後、少なくとも20年は、これ以上の写真は出てこないだろう。


「平成」の第一印象は、「えらい、また、古くさい印象の元号を」というものだった。たぶん、「平成」と「平城京」が似ていたからだろう。


 ここらで、ちょっと一息。