品種改良

 遺伝子工学がどうのこうのとよく言われる時代だが、昔からの交配による品種改良にも凄いものがあると思うのだ。


 例えば、こういうブタを見ると、「肉、取りてえ」という代々の酪農家の意志を、わたしは感じるのである。


内江猪


 こういうのもいる。


大湖豚


 解説文には、「雌豚の性質は温順で多産であり、泌乳力は高い」、「非常に早熟であり、生後2〜3ヶ月令で初回発情が始まり、2回目から交配することができる」とある。


 内江猪はサイズで勝負、一匹からたくさんの肉を取れる。一方、大湖豚はサイズが書いてないが、繁殖のスピードで勝負、ということらしい。
「たくさん、肉、取りてえ」と、「次々、肉、取りてえ」というところだろうか。


 ブタを見ていて感心するのは、イノシシを人間が飼い慣らし続けるとブタになってしまった、という不思議だ。


 しかし、こういうブタを見ると、「なるほど。元はイノシシなんだな」と思う。


蔵猪


 また、交配を端的に表しているブタもいる。


海南猪


 遺伝というのはよくわからない。


 例えば、



横田広さん


 と、



立井長与さん


 を交配、じゃなかった、結婚させれば、



相田等さん


 が生まれるかというと、必ずしもそうではない。


 子供が、父と母の中間の姿形になるわけではないのだ。
 なお、相田等さんは父母とは別の性を名乗っているが、曰く付きの結婚でもあり、いろいろな事情、心情がからみあったものと思われる。ここでは立ち入らないことにしておく。


 高校時代に、「メンデルの法則」というのを習った。黄色のエンドウ豆と緑色のエンドウ豆を掛け合わせると、必ずしも黄緑色の豆ができるわけではない、というようなものだ。
 あまり詳しく書く余裕がない。向学心に燃える方は勝手に調べていただきたい。


 で、先ほどの巨大ブタだ。


内江猪


 あくまで想像だが、これ、「デブのブタとデブのブタを掛け合わせると、もっとデブのブタが生まれる」という考えに基づいて、交配されてきたんじゃなかろうか。


 首の長いキリンと首の長いキリンを交配させると、もっと首の長いキリンが生まれる、という発想である。


 遺伝学的に正しいのかどうかは知らない。が、事実、凄えデブのブタは――おそらくは長い時間をかけて――生まれた。


 人間の「肉、取りてえ」という欲望の凄さを、わたしはこの凄えデブのブタに感じるのである。


 肉の一念、遺伝子をも通す。
 交配による優れた品種は、意志の積み重ね(「もっと肉、取りてえ」)と、代々貫かれてきたコンセプト(「デブのブタとデブのブタを掛け合わせると、もっとデブのブタが生まれるはずだ」)の結果だと思う。


 知らんけど。


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