ポジティブ、ネガティブ

 昨日の日経新聞に、野球解説者の豊田泰光がこんなことを書いていた。


 勝負強いバッターは「どうしたら打てるか」と考えるが、勝負弱いバッターは「なぜ打てないのか」と考える――。


 わたしは野球選手ではないので、正しいのかどうかわからない。
 しかし、リクツで考えると、勝負どころでは一点突破を図るほうが、満遍なく目配りするより成功の度合いが大きい。そういえそうだ。


 ストライクゾーンを9つに分けて、ピッチャーの球を打ち返すには、7の力が必要だとする。


 満遍なく目配りするタイプ(「なぜ打てないのか」と考えるタイプ)は9つのゾーン全てに5の力を分配してしまう。これでは打ち返せない。


 一点突破を図るタイプ(「どうしたら打てるか」と考えるタイプ)は5つのゾーンを捨てて、4つのゾーン(例えば、インコース3つとど真ん中)に10の力をかける。
 外れれば無様な姿だが、当たれば大きい。見ている人からすると、勝負どころで当たったときの印象は強いから、「あいつは勝負強いやつだ」ということになる。


 まあ、実際の野球はもっと複雑でいろんな機微があるのだろうけれども、一応、リクツの筋は取っているんじゃないか(言っておくが、この日記に書いたことには、一切、責任を取らない)。


 ポジティブ、ネガティブとよく言う。
 わたしは、長期的なことについてはポジティブだが(というより、なーんにも考えていないのだが)、短期的なこと、目先のことについては割とネガティブなほうだ。


 そもそも、朝起きたときから、雨に濡れた小鳥のように、震えている。ラブリーでイッツ・ア・ピティなおれ。
 道を歩けば、クルマにひかれるんじゃないか、と不安になる。用心のため、端を歩くよう心がけ、ドブに落っこちる。
 寝る前には「眠れなかったらどうしよう?」と思い、酒をんぐんぐ飲む。そのうち、なんだか、ひとりで盛り上がってしまい、浮かれ踊りながら夜明かししてしまう。


 自分のことについてはネガティブに考えることが多い。しかし、他人事に対してはひどくポジティブである。


 談合事件とか、贈収賄事件とかのニュースを見聞きすると、「ひどいねえ」と思うが、それでも、「ちゃんとバレる、捕まるというのは素晴らしいことではないか」と考える。


 なに、実際は、バレなかったやつはのうのうと暮らしていて、こっちは知りようがないだけなのだ。
 ニセ札が、バレない限り、本物のお札と同じように流通するのと一緒である。ニセ札はニセ札と思われない限り、ニセ札ではないのである。ドゥ・ユー・アンダスタン?


 先日の東証のシステムダウンの事件も、ポジティブに考えた。


 被害は、たぶん、大きかったろうけどサ、わずか数時間でソフトウェアの不具合の原因を把握して解決してしまうなんて、凄いじゃん。
 そう思うのだが、どうだろう?


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