誇張するための言葉というのは時代によっていろいろ出てきて、いろいろ消えていくのだそうだ。
今、消えてしまった誇張表現を思い出そうとしているのだが、何しろ、消えてしまったのだから、出てこない。頭の性能が悪いせいもあるのだろう。
ところが、「鬼のように」という言葉だけは、世代の違いに関係なく、延々使われ続けていると聞いたことがある。
確かに、ヒップでクールでモダーンなものを好む、ナウなヤングのミナサンも、案外、「鬼のように」という言い方をする。
「鬼」である。何とも、古くさい。ヒップでクールでモダーンな時代にはそぐわない気もする。それでも、ナウなヤングのミナサンは、つい使ってしまうのだ。
わたしのイメージする鬼とは、こういうものだ。今、描いてみた。
右手に下げているのは魚でもゴミ袋でもない。こん棒のつもりである。トゲトゲを描く前に気力が尽きた。
虎の皮のパンツを上に描きすぎてしまった。
しかし、いいのだ。鬼は、実は単為生殖で増えていくから、付いていなくたっていいのである。これは、先ほど、わたしが生物学的に発見した事実だ。
その証拠に、女の鬼というのはいない。般若というのがいるが、あれは鬼ではなくて、人間の女の本性である。あわわわわ。
えーと、そんな話をしようと思っていたのではなかった。
「鬼のように」という言い回しについてである。
基本的に人間は日常会話において、どこか油断している。だから、あまり気づかないが、注意すると、しばしば変テコな表現に出くわす。
例えば、
・鬼のように眠った
これ、どういう姿だろうか。
いや、「もの凄く眠った」と言いたいのは、わかる。
しかし、「鬼のように」である。
鬼のように眠る
凄さが全く伝わってこない。ずいぶん、のんきな姿である。
同じく、
・鬼のように勉強した
・鬼のように頑張った
・鬼のように走った
どれも、「?」である。勉強する鬼とはどんな姿だ? 鬼はどんなふうに頑張るのか? 鬼のように走ると、まわりの人は腰抜かすんじゃないか?
鬼ではないが、次の表現も改めて考えると、よくわからない。
・死ぬほど眠った
眠り過ぎて死んだ人っているのか?