ムード

 最近、テレビでジョン・レノンの「イマジン」をBGMに、オノ・ヨーコが語るCMが流れている。


 制作者側はそんなこと考えなかったろうけど、皮肉なCMだなあ、と思う。


「♪imagine no possessions」、所有なんてないと想像してごらん――株主が株を所有して成り立っている株式会社が、そんな歌、使うな、と言いたい。


 CMの制作の経緯はもちろん、知らない。あくまで想像だが、イマジンを「何となく平和について歌っているいい曲」として、ムード的に使っているのではないか。
 オノ・ヨーコは、確信犯としてCMに出て、確信犯としてイマジンを流すのをOKしたのだろうけど。


 オノ・ヨーコは、ジョン・レノンのイメージのほんの一部をうまく利用しているな、と思う。
 自分の言いたいことを、「オノ・ヨーコ」として言うのでは弱いものだから、死んだジョン・レノンの曲と肖像(映像)を切り貼りして、あたかも「ジョン・レノン」の訴えのように見せている。


 生前、ジョン・レノンは、イマジンをあまり気に入っていなかったという。歌詞の内容が気に入らなかったのか、あの甘ったるいムードが気に入らなかったのか、あるいはその両方なのかは知らない。


 わたしも、イマジンが好きではない。
「国なんてないと想像してごらん」と言われたって、財布を落とせば交番に行くし、隣の家が燃えれば消防車に来てもらいたい。
「所有なんてないと想像してごらん」と言われたって、そこらへんにたわわに実っているバナナを食えば生きていける、というわけではない。テレビだって見たいし、本だって読みたい。


「And no religion too」。自分が無神主義を通すのは勝手だが(それだって、しばしば一種の宗教だろうけどさ)、人の世界の捉え方に踏み込むのは傲慢だ。
 戦争や殺人・暴力をなくすために宗教を否定するというのは、下痢をなくすために飯を否定するようなものだろう。


 わたしは平和に生きていたいし、苦しんだり、痛んだり、嘆き悲しんだりする人がいないに越したことはない。


 しかし、イマジンは、歌っている間だけ人々がムードに浸って満足する、ガス抜きの歌になりかねない。
 そうして、「And no religion too」と歌いながら、クリスマスを祝ったり、初詣に行ったりするのだ。


 何かを否定するのは簡単だが(ここでイマジンを否定しているように)、何とかうまくやり過ごす方法を見つけるのは難しい。


 反戦を歌うなら、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」のほうがよっぽどふさわしい(知らん人はインターネットで勝手に調べてくれ。あれを名もない兵隊の歌として聞くと、ちゃんと反戦歌になる)。


 オノ・ヨーコは、まるでジョン・レノンという死んだ聖人か、あるいは神の託宣を告げる司祭のようだ。
 そうして、司祭は託宣を自由に扱える立場でもある。


 もしジョン・レノンが生きながらえていたら、ジョン・レノンといえばイマジン、という現在の扱われ方に、非常に違和感を覚えるだろう。もしかしたら、怒り狂うかもしれない。


「宗教なんてない(と想像してごらん)」なんて歌っている歌自体が、宗教の道具になっているのだ。
 ヘイ・ユウ! ジョン・レノンなんていないと想像してごらん。


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