「日本人ほど、日本人論を好む者はいない」という日本人論があるそうだけれども、本当だろうか。
まあ、本当だろうな。例えば、「日本人は、日本人論が嫌いで、ベルベル人論を好む」なんてことは、まあ、ないし、「ハンガリー人のほうが日本人より日本人論を好む」なんてこともなさそうだ(ハンガリー人に知り合いがいないから、本当のところは知らんけど)。確かに、日本人ほど、日本人論を好む者はいまい。
では、「日本人ほど、自民族論を好む者はいない」となると、どうだろう。合っている気もするし、そうでもない気もする。
わたしは海外に住んだこともないし、洋書も読まないので、他民族の人々が、自民族論をどのくらい好むか、知らないのだ。
まあ、日本人論の本が本屋にはたくさん置いてあるから、人気はあるのだろう。
この手の話でいつも厄介なのが、日本人というのは、日本国民を指すのか、日本民族を指すのか、ということだ。
日本国民を指すのなら、ラモスや三都主の扱いはどうする、ということになる。
一方で、民族というのも曖昧な概念で、人々はそう簡単に赤青黄色に塗り分けられるものでもない(言語で区切ったってダメだよ。例えば、合衆国には英語をネイティブで話す人が多いけれども、彼ら・彼女らを一民族とするのは大ざっぱすぎる)。
えらい曖昧な基盤に立った話で、なかなか先に進みにくい。
「日本人は、なぜ日本人論を好むのか」という、大ざっぱな日本人論を展開しようかと思ったのだが、ああ、ややこしい。やめだ、やめだ!