赤い羽根と自意識

 わたしはこう見えて(見たことのある人は少ないだろうが)、慎み深いほうである。


 ――という書き方は全然慎み深くないが、誰が何と言おうと、慎み深いのだ。本人が言うんだから、間違いない。


「陰徳を積む」という言葉があって、人知れずよいことをする、というような意味だ。
 あるいは、何か善行をしても、それを声高に吹聴するのは恥ずかしいことである、という考え方もあり、わたしは馴染んでいる。


 先日も、街で見かけたマッチ売りの少女にアメリカン・エキスプレスのゴールド・カードを渡して、走って逃げてきた。陰徳なので、黙っている。


 どうしてそういう考え方に馴染んだのか、はっきりした理由はない。
 おそらくは、子どもの頃からの、見るもの・聞くものに影響されたのだろうと思う。


 しかるに、最近、ナントカ・バンドというのが流行っているようだ。
 NPOからバンドを買い、腕に巻く。それを見せびらかすことで、「わたしはアフリカの貧困問題に関心があります」とか、「わたしは環境問題を看過してはならないことと考えています」とか、周囲にアピールするのだ。


 わたしはああいうものを身に付けるのが、もの凄く恥ずかしい。


 いや、流行りのバンドじゃなくて、昔からある赤い羽根共同募金でも一緒だ。
 あの赤い羽根は、付けることによって、まわりの人に「ああ、赤い羽根共同募金の季節だな」と思い出させる。そうして、「自分も募金するかな」と思わせる。


 付けることが善行につながるのだけれども、わたしは、それが気恥ずかしくてできないのだ。
 偽善だなんだとは関係ない。あくまで自分がどう見られるか(と自分で想像するか)の問題である。


 要するに、「善行」<「自意識」で、他人より自分ということなのだが、こういうオレ様って、いいやつ? 悪いやつ?


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